うつでなまぽ

うつ病でPTSDでアスペで生活保護受給中の生きものがいろいろ書きます。

昔の話「過去得られなかったものを現在に求めるな」

 フラッシュバックがひどい。

 メンヘラはフラバフラバっていうけどフラバってどんなかんじやねんと思うひとのために説明すると、「ある刺激によって過去のできごとが想起させられ、そのときの感情をよみがえらせてしまうこと」がフラッシュバックらしい。これはとくに引用とかではないわたしなりのまとめなのでまあ話半分に受け取ってほしいけれども。これ、いいことを思い出してそのときの感情がよみがえる……とかだったらイイハナシダナーで終わるのだけれども、だいたい最悪の記憶を思い出して、最悪の感情がよみがえる。人生ままならないね。

 

 わたしの場合は父とか母とか家族とか、そういう言葉でフラッシュバックが起きがちなので、父の日、母の日、家族イベントなんかがだめなんだけれども、そうすると世界はもう地獄でいっそ殺せみたいな感じになる。フラッシュバックを起こさないためには引きこもっているしかない。でも引きこもっていてもトリガーが謎なままフラッシュバックは起こるんだよなあ。ほんとうに謎です。やめてください。

 

 フラッシュバックをきっかけに忘れてたことや気に留めてなかったこと、というか気に留めていないと思っていたことを思い出すこともあって、それについて考えたりもして、また落ち込んだりもするんだけれども。なんの話だ。まあいいや。

 

 このあいだ、わけのわからないぐちゃぐちゃの夢を見て、そのなかに父母が出てきて、起きたときに最悪の気分で、昔のことを思い出した。

 ひとつは、父が子どものころ、母親(わたしにとっては祖母)が働いていたので日常的に家を空けていて、それがイヤだったから、働いていた母に対し結婚を機に専業主婦になるよう求めたこと。あともうひとつは、母が子どものころ、妻を亡くした父親(わたしにとっては祖父)と、父親の後妻と、その子ども、そして母という家庭で、自分の家族が欲しいと望んで父と結婚したこと。

 はたから見ると父母の願いはかなったようにみえる。でもダメだった。なぜかといえば、おそらく、父と母は「母親が家を空けない家庭」、「自分の家族といえる家庭」に、その家庭の子どもとして存在したかったからだ。父親として、母親として、そういう家庭をつくっていく、それを自分たちの子どもにあたえるというのはたぶん、彼らの願いではなかった。

 なので当然のごとく破綻した。なにが当然って、子ども目線での理想の家庭を、子どものまま、父親・母親の立場でつくろうとすればそれは破綻するに決まっている。父親と母親の子どもは父親や母親の子どものころとイコールではないし、父親・母親にはそれぞれ伴侶がいる。人物も違えば環境もまるで違うのに、そもそも実現したことがない理想の家庭でしかないのに、それこそが至高だと考えているんだから、うまくいくはずがない。しかも、ひとつの家庭にふたつの理想を持ち込んでいる。無理無理。

 

 これは教訓と受け止めるべきかもしれない。過去得られなかったものを現在に求めるな。子どものころ抱いたあまったるいあこがれをひとに押し付けるな。わたしの場合は、子どものころ得られなかった健全な親の愛をほかのだれかから受け取れると思うな、ってところだろうか。まあ、そんなもの、もうだれにも期待していないけれども、自分でそう思っているだけでじつは期待しているかもしれないので、自戒しておくべきだろう。

 

 新年早々(といってももう10日だけど)破綻した記事だ。うつでなまぽを今年もよろしく。今年はなまぽを脱したいなと思っているけどまったくめどが立たない。泣きたくなるほど未来が見えない。というか泣いたわ。なのでまあ今年の目標は死なないことです。