うつでなまぽ

うつ病でPTSDでアスペで生活保護受給中の生きものがいろいろ書きます。

こもごも「自助会とかいうのに通いはじめました」

 自助会というのはさっぱりと言ってしまえば似たような境遇のひとたちがあつまっていろいろと話す会のこと。親との確執なんかを、うっかりいわゆる「ふつうのひと」に話してしまえば、「子どもを愛さない親なんていないよ」とか「仲直りしなよ、親子なんだから」とかそう言う致命傷を負わされる危険があるが、自助会ではそういう可能性はほぼない。なぜなら似たような境遇の人間があつまっているから。「あるあるー」となる。これがけっこう楽だったりする。

 「自分だけじゃない」とリアルにわかるのはかなり大きい。この年になっても親に影響されてしまっているのも、そこから抜け出せなくて苦しいのも、いろいろ、わたしがとくべつ弱くてろくでなしだからではなくて、だれだってそうなる可能性があるんだ。と感じられるのはほんとうに救われる感じがする。主治医には言われていたんだけれども、「まあいうて精神科医の先生のリップサービスやろ」的な、猜疑心があった、猜疑心はほんとうに強い、自己肯定感が死ぬほど低いから、肯定されるほど猜疑心がふくらむ。

 

 いま行っているところはアルコール依存症の自助会ではないんだけれども、アメリカのアルコール依存症の自助会・アルコホーリク・アノニマス発祥らしい「12のステップ」というのを取り入れていて、これが最重要らしいのだけど、正直言ってこれがいちばんのネックだよなと思ってしまう。

 12ステップのプログラム - Wikipedia

 こう、宗教のさかんなアメリカで考えられたものなので、翻訳によっては「神」とか「ハイヤーパワー」とかいう単語がでてくるのだ。ウィキ先生では「偉大な力」となっているね。これはオウム事件以来宗教アレルギーをきわめている日本人にはかなりなじまないのじゃないか。わたしは無神論者だけど宗教の勉強はしたという人間なので平気だけれども。

 それにスピリチュアル(霊的)とかいう単語も、日本ではだいぶうさんくさい存在とされてしまったよね、残念ながら。

 

 まあ、日本人になじむように解説するならば、「生きていると、自分や人間のちからではどうやっても動かせない流れのようなものがある。わたしたちは、わたしたちの人生のすべてを制御することはできない。それらを受け容れる、受け入れやすくするため、あるいはそれらにわたしたちの懊悩をあずけて荷を軽くするために、『人知のおよばないものをつかさどり、支配する存在がある』ということにして、この存在を、便宜上『神』と呼ぶ」という感じなのかなあ。

 人事を尽くして天命を待つ、というのの「天命」であるといったほうがわかりやすいだろうか。

 

 しかし、わたしは無神論者だから、ステップを踏むことがまずむずかしいよなあ、などと思いつつ通っている。

 ふしぎに、この集まりはつかれない。たぶん、自助会にいるあいだは、「ふつうの家に生まれて、ふつうの親に育てられ、ふつうの人生を送ってきた、健全で定型のふつうの人間です」という演技が必要ないからなのか。逆に言うと、わたしは、ずっとずっと、そういう演技をし続けているのだなあ。などと思ったりした。