うつでなまぽ

うつ病でPTSDでアスペで生活保護受給中の生きものがいろいろ書きます。

発達障害「障害じゃなくて個性ではとか言われても」

 こないだ、ひとと話してたんだけど、というかチャットをしていたんだけど、そのときに、わたしがアスペルガー症候群だという話になって、相手のひとが、「まえから思ってるんですけど、それって障害なんですか? 個性じゃないのかな?」みたいなことを言ったんだよね。

 まぶしいーと思った。

 まぶしくない? あまりにまぶしい。まぶしい意見。まぶしすぎるなー。

 そのひとがまた、「そうやって医者がみんな病気にしてしまう」とか、「アインシュタインだってあきらかにアスペルガー障害でしょう」というようなことを言う。ひーまぶしい。目がつぶれる。つらい。

 

 わたしは発達障害の診断を受ける以前から、こういう意見には懐疑的なんだよ。なぜかというと、健常者が「有能な障害者」だけをひろいあげて、選別しているようにしか思えないから。そうすることで、障害がもたらす苦痛とか苦悩とかを無視して、「障害じゃない、あなたの個性だよ!」なんて言って、無能な障害者を追いつめているようにしか思えないんだよね。

 だってさ、健常者、定型発達者の天才や有能なひとなんてごまんといるでしょ。だからって、健常者、定型発達者がみんな天才や有能なひとになるか? っていうと、ならないよね、当然。凡才や無能なひとは、天才や有能なひとよりたくさんいる。凡才や無能なひとは、健常者、定型発達者であるというだけで、天才や有能なひとをあたりまえの基準とされたらキッツい。障害者だって当然そうなんだよ。

 

 たぶん、こういう意見を言うひとは、差別してるなんて思ってないんだろうし、むしろ、「自分はほかのひとより差別してない」気でいると思うけど、いやいや、むっちゃ差別でしょ、と思う。障害を個性と言いかえるって、そうとう障害者に対する差別意識、障害者って呼ばれるなんてかわいそう、って意識がないとやんないじゃん。おなじような差別意識があるひとは喜ぶかも。そうなんです、私は障害者なんて呼ばれるような人間じゃないんです、って。

 まあ、ノーマライゼーションが進めば、障害者にとっての障害がなくなって、障害者という言葉が死語になるみたいな意見があるにはあるけど、身体障害にかぎっても世界じゅうがそうなるなんて無理だと思うし、精神障害発達障害にいたってはもう完全に無理と断言できる。話がそれた。

 

 わたしは、ずっとずっとずーっとどこかひととの関わりが下手で、がんばってがんばってもみんなとどこか違って、どんなにやっても変わってるねって言われて、それがとても苦しかった。なので、発達障害アスペルガー症候群ですね、って診断されたとき、だからだったんだ、って思えてうれしかった。うれしかったというと語弊があるかな。安堵した? よくわかんないけど、とにかく、わたしの努力不足とかそういうのじゃなくて、わたしはそういう能力がもともとなかったんだ、っていうのがわかって、まあ無駄な努力ばっかしてたなって哀しい思いもあったけど、わたしが悪かったわけじゃないんだ、障害のせいだったんだな、って思えて安心した。よかったなーって。

 なにも解決していないけど、わたしにそういう障害があるってわかることで、だからだったんだって納得できるし、しかたがないとあきらめられる部分がある。すくなくとも、これから無駄な努力はせずにすむ。無駄な努力をして、それでもできないことに対して「なんでできないんだろう、わたしがふがいないからだ」って落ち込まずにすむ。

 

 というわけでわたしは障害を個性と言いかえられて障害者じゃなくなるより、ふつうに障害者でいたいと思うね。

 

 ちなみに、その相手のかたは、わたしが「わたしは、そういうふうに障害だと言われることで、努力不足でできないと思っていたことが、障害があるからできないんだとわかり、安心できた」という話をしたら、納得してくださったので、よかったです。

 というわけで、とりあえずは、ハッピーエンド。