うつでなまぽ

うつ病でPTSDでアスペで生活保護受給中の生きものがいろいろ書きます。

社会「生きるに値しない命はあるか」

 自民党杉田水脈衆議院議員が「LGBTは子どもをつくらないので生産性がない、よって公的な支援に値しない」「LGBTにたいする差別などない」というような文章を月刊誌に寄稿したことで炎上した。しているというべきか。

 

 このひとについてかるく調べてみたが、もともと奇妙な発言を繰り返しているひとのようだ。BBCがつくったドキュメンタリー「日本の秘められた恥」において、インタビューを受け「女として落ち度があった」、「男性の前でそれだけ酒を飲んで」とくだんの性犯罪事件で被害者とされている女性を非難する発言をしている。加害者と目されている男性は合意であったと主張しているのだけど、杉田氏のこの発言からすると「男性は強姦したけれども、女性に女として落ち度があったから、強姦とはみなさない」というちょっと法律を勉強してきてほしくなる思考を持っていることがわかる。ちなみにBBCは杉田氏にインタビューをするにあたって、どういうドキュメンタリーであるかを偽ったようで、そのあたりにはTwitterでを抗議をしていた。

 保育所の増設に反対する立場であるが、理由は「旧ソ連崩壊によって弱体化したコミンテルン(かつて存在した、共産主義政党による国際組織)が復権のきざしをみせており、そのターゲットが日本になっている」ための陰謀工作であるとしている。

 彼女にとってはLGBTの権利をもとめる動きも、コミンテルンによる日本弱体化のための陰謀によるものであるらしい。ちょっと頭がくらくらしてきたかな? ウィキペディアを見るとそういうことがソースとともに詳しく書いてあるので、いちど読んでみるといいかもしれない。

 杉田水脈 - Wikipedia

 

 炎上した寄稿文についてはLGBT団体やはてな内でも多くのひとが細かく問題点について書いているので、もう書く必要はないのかもしれないが、まあ書きたかったので書いてみる。

 

 「LGBTのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子どもを作らない、つまり生産性がないのです。」という杉田氏の寄稿文を切り取った文章を見たとき、ナチスドイツや優生思想、断種法を連想した。ナチスドイツは説明するまでもない。優生思想は「すぐれた遺伝子を持つもの(のみ)で生殖をおこなっていこう」という思想。断種法は優生思想のひろがりによって必然的にあらわれてきた「劣った遺伝子、性質をもつものは生殖するに値しないから、生殖能力を奪う”優生手術”を行っていこう」とする法律である。最後の断種法については平成6年(1994年)、つまりたった24年前まで、優生保護法という名で日本という国に存在した法律だ(ほかに断種法を持っていた国はドイツ、アメリカなど)。

 これについて、「いやいや、関係ないだろ? なんでもナチス持ってきやがって。実際、LGBTは子どもをつくらないじゃん」と思うひとも多かろうと思う。わたしはそもそもLGBTが子どもをつくらないというのに異議がある(レズビアンでも精子提供によって妊娠する女性がいるし、ゲイでも代理母によって子どもをもうける男性がいる、バイセクシャル両性愛なのだから異性愛も含み当然生殖する可能性がある、トランスジェンダーはやや複雑になるが、生物学的性別は男、性自認は女、そして同性愛者として女性を愛するといった場合には生殖する可能性がある。もしくはレズビアン、ゲイのように精子提供や代理母によって生殖するかもしれない。まあヘテロセクシャルよりも頻度が低いというのはたしかではある)が、それはまあカッコ内ですませておくとして、わたしが杉田氏の発言をナチス的だと感じたのは、人間を選別する、その姿勢だ。

 

 きょうの表題においた「生きるに値しない命」とは、ナチスドイツが「純粋なアーリア人」を正しいドイツ人であり至上の存在とし、その純血をたもつために、劣等、下等とみなされる資質をもつ者たちを安楽死させる優生主義的な政策を推し進めるにあたって使用した題目だ。ナチスドイツは、まず知的障害者精神障害者からはじめた。彼ら・彼女らは独力で生きていくことができない。支援を要し、税金を要する。安楽死させてしまえば、そのぶんの金が浮く。財政が改善される。そういうわけで、彼ら・彼女らは安楽死させられた。

 「生きるに値しない命」は拡大した。政治的な反体制派、同性愛者。もしくは、聖職者、共産主義者ユダヤ人、ポーランド人。最終的には悪名高い絶滅収容所にまで至る。ナチスドイツが連合国によって崩壊するまで、人間を生きるに値するかしないかを選別し、「生きるに値しない命」を死に至らしめる残虐な政策は止まることがなかった。

 

 なにが言いたいかというと、ホロコーストユダヤ人の大量虐殺)でさえ、最初の一歩はあくまで知的障害者精神障害者安楽死という、現代的価値観からすればじゅうぶんに過激であるが、帰結にくらべればずいぶん穏当なものであったということだ。いや、最初の一歩は優生思想の流布だっただろうから、もっと穏当なものであったのかもしれない。

 杉田水脈議員の寄稿文もその一歩であるようにわたしは感じる。彼女は子どもを産むことのみを「生産性」とさだめ、それをできないLGBTのひとびとは「生産性がない」から「税金をつかうに値しない」とした。ならば、日本で生産性があるのは「10代後半から40代までの、健康で生殖の意思と機能をもつヘテロセクシャルの男女」のみに限局され、そのほかの人間は「税金をつかうに値しない」ということになる。「税金をつかうに値しない」は、いずれ「生きるに値しない」へと先鋭化する可能性を秘めている。オーバーなと思われるかもしれないが、前述したとおり、ホロコーストのはじまりは「税金を節約するために、知的障害者精神障害者安楽死させる」だったのだ。

 

 そもそも、社会というものは、人間のために存在する。社会のために人間が存在するのではない。生産性があるかないか、つまり社会に貢献しているかしていないかでそうやって選別する姿勢がまずおかしいのだ。いやしくも民主主義をかかげる国に、生産性でひとを選別するような政治家などは必要ない。生きるに値しない命など存在しないと、お題目であったとしてもとなえておくべきだろう。”古き良き日本”への憧憬や、それにともなう「みんな言わないけどこれが本音だよね」というような、”あえての露悪的”な論調は目にあまる。

 とりあえず自民党は、彼女が「生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁」について語りはじめるまえに、なんらかの方策を取るべきではなかろうか。このような発言を放置していては、とてもLGBTの理解を推進するとかかげた党とは思えない。いやそもそもこのひとを引き入れた時点で……というか自民党LGBT理解自体が……

 

 以上!