うつでなまぽ

うつ病でPTSDでアスペで生活保護受給中の生きものがいろいろ書きます。

精神科受診「あらためてPTSDだと診断を受ける」

 受診してきました。PTSDでした。いや最初から言われていたけど。

 前回延期された心理検査、今回も受けられなかったのだけれども(それは事前にわかっていた)、とにかくその内容と、前々回? くらいに受けたペーパー式のアンケートみたいなやつとバウムテストを比較検討したうえで、これから診察にくわえてカウンセリングを受けていくべきかどうかを判断されるとのこと。

 いやしかし、カウンセリングと言うと、自費になる可能性があるからちょっときつい。いくらになるのかわからないし。保険診療の範囲内でカウンセリングが受けられる場合もあるそうだけれども、わたしがそれに該当するかどうかは不明。カウンセリングを受ける必要があると主治医に判断されたけれども、お金がもったいないからと受けなかった場合、生活保護受給者の義務である、「傷病者はその治癒につとめること」にひっかかって指導を受けることになったりするんだろうか。ちゃんと受けなさいよとかっつって。

 

 

 PTSDには「過緊張」というのがありがちらしいんだけれども、わたし、もろにそう。気質だとばかり思っていたけど。簡単にいうと、ちょっとした音や変化に過剰に反応する(ほどに、つねに緊張している)ことらしい。通常危険が想定されない状況下においてもずっと緊張状態をつづけているため、ふつうのひとなら聞き流すくらいのふいの物音などにものすごくおどろき、比喩ではなくとびあがることさえある。そしてわたしの場合、かならずその音源をさがす。なんとなくそうしないと気がすまない。たぶん、危険がないかを確認しないと「とりあえずは安全である」という確信が持てないから。

 突然の物音に反応しないひとびとがわたしは信じられなかった。えっいま音したじゃん? けっこう大きかったじゃん? みんな聞こえなかったの? 反応してるのわたしだけなんだけど? みたいなことがたびたびあった。なぜみんながそういうふいのできごとに対して鈍感でいられるのか、というか泰然としていられるのか、理由がわからなかった。

 答えはじつに簡単だった。みんな、その程度の物音が安全を脅かさないと理解しているから。わたしのような安全を信じられない者たちだけが、取るに足らない物音におびえてとびあがるのだ。きゅうりに気付いたねこみたいに。

 そんなふうに、歩く道の角という角に危険がひそんでいると想定しているかのようにして生きていれば、精神が疲弊する。人間は、というか動物も、常時あたりを警戒して生きていけるものではない。そうして精神を病む。わたしのようにうつ病になったりする。生きていくには安心と信頼が不可欠だ。しかしPTSD患者はかならずしも世界が安全でないことを知ってしまって、どこからどこまでが安全で危険なのか、境目がわからなくなってしまうのだと思う。わたしのような幼年からの虐待被害の場合、ほんとうの安心や信頼というものを、そもそも知らないのかもしれない。

 

 とりあえず、カウンセリングを受けるにしろ受けないにしろ、PTSD治療をはじめられるよう、あいまいなところも含めて、過去の記憶をたどれる程度まで体や精神を癒すことが目標になる……のだろうか。しかし、それをするためには、PTSDの治癒が必要なのではという、なんなんだろう、この堂々巡り感は。

 CATCH 22という言葉を、というかスラングをご存じだろうか。小説の題名なのだが、これは小説中の軍規をさす言葉でもあり、その軍規の内容は「狂気に陥ったものは軍を除隊できる」というものだ。しかし、「自分は狂人であります、狂気に陥ったものであります、ゆえに除隊をお許しいただきたくこうして参じたものであります」と己の狂気を自覚できる者はまだ狂気に陥っているとは言えない。理性が残っている。ゆえに除隊できない。かといって、狂気に陥った者は除隊を願い出るだけの理性がすでにない。ゆえに除隊できない。というやつだ。そんな感じだ。

 まあとにかく、次回の心理検査を受けて、判断を待つしかない。人事を尽くして天命を待つ。いやそんなもんでもないな。べつに学力テストでもないからな。なにもできることがないな。とりあえず、一日一回くらいはなにか食べるよう心がけるくらいだな。それでいいか。

 

 体重はいまのところ45kgくらい。来るべき夏に向けてダイエットにいそしんでいるお嬢さんがたも多いだろうに、こっちは体重を増やそうと腐心しているのだと思うとその落差にすこし笑えてくる。