うつでなまぽ

うつ病でPTSDでアスペで生活保護受給中の生きものがいろいろ書きます。

生活保護「訪問の日でした」

 つかれた。なにもしていないのに。いつもひとりでいる部屋に、CWさんと相談員さんと、ふたり増えるだけでものすごい圧迫感がある。ここは人間の家ではない。けものの巣だ。だれかをむかえることを前提に準備がなされていない。座布団代わりにクッション出してるし。そしてなぜかいつもそれをほめる相談員さん。いや……こっちがひとをだめにするソファに座っているのに、相手方を床にじかに座らせるわけにはいかないという、わたしにかろうじてこびりついている社会性のようなものがそうさせるだけなのだ。かといって来客などほぼないにひとしいのに、訪問のためだけに座布団を買うのもな。どうなんだ。

 

 訪問ですることは、だいたい、現状報告とあとは書類記入。たぶんこれはどこも変わりないだろう。

 ただわたしは病気療養中であるので、現状報告はだいたい病状報告とイコールでつながる。主治医にこう言われましたとか現状こんなですとか処方が変更になりましたとかそんな感じのことを話す。今回の場合は睡眠に問題があったので処方の変更があったこと、食事量がかなり落ちているがなんとか体重は持ち直しつつあるような感じであること、とこの程度のことを話した。

 書類記入というのは仕送りとかなんとか、収入がありませんでしたよという申告をする書類だ。生活保護のしおりかなんかには自発的に記入するように? みたいなことが書いてあった気がするが、べつに何枚か渡されるわけでもない。収入があった場合に、きちんと自発的に申告するようにということだったのかな? とにかく、うちの区の場合は、訪問のときなどにCWさんが持ってきてくれるので、指示にしたがって当日の年月日と名前を書いて、収入ないよということをしめして、理由を書いて、捺印をする。印鑑ってむだだよな。むだの最たるものだと思うよ。まあそれはそれとして。

 

 食事については一日一回は食べてるのかというふうに訊かれたのでそういえば食べてないな……と気づいた。というか、なんかちゃんとしたもんば食べんとでけん(地元方言)と思う、思って、思い続けて、三日ぐらいそう思いつづけてやっと、食事にありつく。豚の餌のごとき雑炊をこしらえてみたり、パン屋でパンを買ってきたり、弁当屋で弁当を買ってきたりして、食べる。

 それまでの三日間は、水を飲んだり、牛乳を飲んだり、豆乳を飲んだり、てきとうに飴などなめたりしてすごす。それほど活動するわけではないので空腹感はすぐに薄れる。意外に平気だなと思ってくらっときたりふらっときたりするわけだけれども。

 

 空腹にはわりと慣れている。子どものころ、飯抜きという罰がよくあったからだ。たいがい、父が、「おれが働いて稼いだ金で飯が食えているということに対する感謝が足りない」と感じたときに発動する。父は公務員だが児童憲章を知らなかったようだ。

 食うなと言われるから食べない。空腹がために父に感謝をささげて飯を食わせていただくというのはどう考えても筋が通らない。わたしは父の子どもだ。父がつくった子どもだ。適宜避妊でも中絶でもしていれば存在しなかった命を、あえて存在させる選択をしたのは父だ。父がわたしを、成人するまで養育するのは義務であって、わたしが父に感謝するか否かとはまったくべつのことだ。

 そういう理屈を小学生ながらこねくり回して、給食だけで生きていた時期がある。少ない量を食べたほうが空腹との落差が少なくて体が楽だということ、水で腹を膨らませること、体育はむしろ動いたほうが楽なことを学んだ。

 結局最後には父が「なぜ食べないのか、当てつけのつもりか」とキレて殴ってきて、しかたがないので飯を食う生活に戻る。血と涙といっしょに食べたクリームシチューを覚えている。口のなかが裂けていて、ほくほくした甘いじゃがいもと酸っぱいような傷の味と鉄さびくさい血のにおいに涙と鼻水が混じっていた。はた目にはやっとありつけた食事に感謝しているように見えたかもしれないが、じっさいには意思を無視して無理やりにねじ込まれたことが悔しかった。

 父に感謝していないわけじゃなかった。むしろ負い目を感じるほど感謝していた。ただ、それをしめす方法をわたしは知らなかった。素直に「おとうさん、いつもはたらいてくれてありがとう」と言うには、父とわたしの関係はあまりにねじくれすぎていた。上記のことも、父としては、二三日程度飯を食わせずにおいて、空腹に耐えかねたわたしが反省し、謝るなりなんなりの行動を起こし、それを許してやり、いつもどおりに戻る、というふうにしたかったのだろう。わたしにもそれがわかっていた。わかっていたからこそしたくなかった。そういうふうに理不尽に、ひとに操られたくなかった。その程度の人間だと思われたくなかったし、自分をその程度の人間に貶めたくなかった。

 こうして書き出してみるとまあなんと相性の悪い父子だろう。父はひとの頭に足を乗せないと気がすまないところがあった。わたしは自分の意思に反して額づくことへの途方もない嫌悪があった。どうやってもうまくはいかない父子だったのだな。

 

 話が大いにそれた。とりあえず三日に一回という食事量はCWさんと相談員さんにはちょっと衝撃的な食事量だったらしく、お菓子でもなんでもいいから、とにかくすこしずつでも毎日一回は食べたほうがいいということを言われた。指導されたと書くべきか。基本的には相談員さんが話し、わたしが答えるというかたち。CWさんは男性で、わたしは過去に性被害の経験があるのでCWさんはだいぶ遠慮している感じだった。しかしなんだ、空気があまり明るくないときに、明るくしようとする努力をするひとに、とりあえず作り笑いを浮かべるときの気まずさよ。

 

 相談員さんは退職されるということなので、これでお別れ。そのことについてはどちらもとくにふれなかった。いままでお世話になりましたというべきだろうかと思ったが、結局なにも言わず。

 後任の相談員さんはまだ決まっていないとか。とりあえず、七月になってから確認をして、いちど会ってみて、これからも面談をつづけてゆくかやめるかを決めるということになった。当然のようにつぎの相談員さんも女性が着任することが前提のような話になっていたが、そういうものなのだろうか。

 CWさんはなんでも言ってもらってかまわないからというふうに言ってくれた。訪問も、部屋に入られるのがいやならいやで大丈夫だと。玄関先でもいいからと。いや、でも、部屋に入られるのもいやだけど、玄関先で話すのも無理だし、正直に言ってしまえばだれもかもなにもかもむり……って感じなのでもうこれからも部屋にあがってもらうことにしようと思う。部屋掃除のモチベーションになる。

 

 ぜんぜん関係ないが、夢のなかで紫色の花を見た。わたしがだれがしかにあれは燕子花にちがいないと話していたのだけれども、わたしは菖蒲も花菖蒲も燕子花も見分けがつかないし、どれもきちんと見たことすらない。なんであんなに自信があったのかわからない、夢のなかの自分。もしかしたら自分ではなかったのかもしれない。