うつでなまぽ

うつ病でPTSDでアスペで生活保護受給中の生きものがいろいろ書きます。

生活保護「現代に生まれてよかったねという話」

 カテゴリ「前段階」のどこかに申請まえに多少ごたごたがあったと書いたと思う。このごたごたについて書いた記憶があるようなないようなあいまいさだったのでとりあえず書いてみる。

 

 ごたごたというのは実家に連絡したことに端を発している。ネットで生活保護についてやたらと調べまくったため、だれかが生活保護を申請すると、四親等内だか三親等内だかに扶養照会というかたちで連絡がいく、とその時点では思っていた。あいまいだったが、父母、兄弟姉妹、父方母方の祖父母までということだ。サイトによっては祖父母は含めない場合もあり、こっちのほうがいいなあと思ったりしていた。

 が、国の制度に頼ろうという以上、あれもイヤこれも無理では立ちゆかない。わたしは祖父母にまで連絡がいくものとある程度覚悟をした。ただ、両祖父母ともすでに年金暮らしであり、母方は祖父がすでに亡くなっているのでそういうことを理由に先んじて阻止というかそういうことはできんものかなと考えてはいた。どう考えても孫が生活保護を受けるとなれば両家の祖父母が衝撃を受けるのは間違いないからだ。

 

 だからまあとりあえず母に説明をしようと思った。このとき、わたしは重度のうつ病だったが無理やり派遣バイトで金を稼いでなんとか生計を立てていたものの、予定していた高額バイトがある事情から取り消されたという事情があった。精神的にも肉体的にもいろいろと無理。

 母に話せばわかってもらえるとはまったく思わなかったが、ただ生活保護の申請をするから扶養照会の封書が届きますよということのみメールで説明したところ、なんかちょうど近くに来ていたとかで駅に行くから来て説明をしろと。どうせ仕事終わりに駅近くを通るので、いまさら会って話してなにもかわるものじゃないと思いつつ了承した。

 祖父母にまで照会がゆくなら、たぶんいちばん気にするのは母だし矢面に立とうとするのも母だ。父はただほっとけと言うだろう。なので、会って話すのが母の希望であるならそれを叶えるべきだと思った。迷惑をかける立場の人間として。

 

 まあそれでも会わなけりゃよかったなというのが率直な感想。

 

 母は約束の時間に二時間ほど遅れて来た。仕事終わりで精神的肉体的に限界ですしあすも仕事ですので手短にというのを説明していたにもかかわらず二時間待っていたわたしは疲労で死にそうだった。どっかのカフェにでも入ってろよという話かもしれないが、そんなむだ金をつかえるようなら生活保護など申請しない。

 そして母はごちゃごちゃ言いながらとりあえずなにか食べようと言い出した。食欲がないので最近なにも食べられていないという説明をしていたにもかかわらずなにが食べたい? と訊かれてなにを答えればいいのか。なにも食べたくなかった。帰って寝たかった。結局母の希望でどっかのパスタ屋に入った。ほんとうになにも食べないのか訊いてくる母。いや食べるとか食べないとか以前の問題で完全に食欲不振なんだ。店に入るまえから食事は無理だと再三言っていたのになんだこれは。わかっている、ふたりで店に入って片方しか食べないのが周囲からどう思われるかとかそういうことが心配なんだよな。マザーシンクスザモストインポータントシングイズ世間体ザンハードーター。英語がおかしい。

 

 ここでの母の言い分を正確に書き出すとおそらくうつでなまぽはじまって以来の大長編となってしまうし、正直もう忘れたので簡潔にいうと母の主張はふたつだった。ひとつ。「おまえは絶対に生活保護に通らない」。ふたつ。「実家に戻って療養すればいい」。

 たぶん脳みそが腐ってるんだろうな、と思った。

 前者については母にはいちおう根拠があり、その昔生活保護の要件を満たすのがたいそう厳しかったころに県庁職員だった父は申請者の遠い親戚の家にまで財産調査に出張したことがあったらしい。しかしそれはどう見積もっても十五年以上は昔のことだ。わたしが物心ついてから父が生活保護にかかわるような課に配属された記憶はないし、まあネット情報ではあるが、たとえ扶養照会で連絡が来たとしても財産調査などはなく断る権利があり、扶養を強制されることはいまはないということだった。時代が変わったのだ。そんな状況で遠い親戚にまで財産調査の手がおよぶなどということもないだろう。

 ネット情報と言っても厚生労働省やらいま住んでいる都道府県市区町村の公式サイトを調べたうえで出した結論だ。扶養照会はあるかもしれないが祖父母までで、財産調査はないと説明した。母はなぜかふてくされたように、「絶対無理だから、受けられるわけなんてないんだから」を繰り返していた。わたしはこれを自分で調べたうえでいまの情報として結論を出した、そちらの根拠としている父の仕事のあれこれは情報として古すぎるというと黙り込む。そしてまた「でも、絶対に無理だから」と繰り返す。ほんとうに、心底、うんざりした。

 生活保護が受けられない可能性、それはそれとして受け止めるが、というかそもそも覚悟しているが、とりあえず申請はして判断を仰ぎたいと言っているのに、ずっと「でも絶対無理だから申請自体やめろ」の繰り返し。わかってる。命より大事な世間体。世間の目。はいはい。

 

 後者についてはまあまえからずっと思っていたが、このひとはわたしを虐待していた自覚がないのだなというのをあらためて実感した。殴られていたときに助けなかった。夜中に追い出されているときにも止めなかった。それどころか、延々と夫婦のこと姉妹のこと親戚縁者のこと自分の生い立ちなどの愚痴を吹き込み、わたしを自分の愚痴のごみ箱、そしてケア役に仕立て上げた。子どもだったわたしにとって、それがどれほどつらいことだったか理解していないのだなと。

 母は、支援者面をして、虐待者であった父とわたしを調停するつもりでいる。まったくお門違いだし不可能だ。あのときなにもしてくれなかったのに、いまさらなにをしてくれるというんだ。なにをしてくれると信じればいいんだ。

 

 くわえて、母は精神状態の悪いわたしを受け入れるようなことを言いながら、「どうして仕事を辞めたの」、「どうして実家にもどらなかったの」と繰り返し繰り返し責めた。本人曰くただの質問らしいが。

 いま、仕事を辞めた理由の説明をしろと? この精神状態で?

 どうして実家に戻らなかった? 虐待者であったご両親が生存してあそばして、虐待の舞台となったマンションの一室といういわゆる実家でいまでも暮らしていらっしゃるようだからかな。

 

 上記の大項目ふたつ、小項目ふたつを理解していない時点で、もはや母との会話は完全に不毛だった。なにを話せと言うんだこの女と。会ったのが間違いだった。いや、この女から生まれたのがそもそもの間違いだった。この女はわたしを産まれるまえに殺すべきだった。そうするべきだったのにしなかった。

 母の性格はよくわかっている。母は口では許すというが、母は決して、長く療養し治らないわたしを許さない。いつまで、いつまでと「我慢」をし続ける。そしてそのうちにそのつけをわたしに支払わせる。よくよくわかっている。これでも二十年母の娘をやってきたんだ。

 このときははっきりと診断されたわけではなかったが、そののちPTSDによるうつ病と言われることになり、機能不全家族で育ったアダルトチルドレンの自助会をすすめられることになるので、原因である実家にもどり、父母のそばにいるかぎりわたしの病気は治らない。しかし、自分を加害者と決して認めない母はこれが理解できない。

 実家へは「行けない」。もう帰るところですらない。あの家に帰って治るはずがない。そう主張した。真っ向から対立だ。ちなみにいまは母は父が不倫してると騒いでたびたび喧嘩をしおこもりを繰り返しているそうだ。行かなくてよかった。行っていたらたぶんいまごろ生きていなかっただろう。

 

 まあ当然最後は物別れに終わった。姉によればその後、母はずっと絶対に申請が通るはずがないんだからとか実家に帰ってくれば少なくとも家賃はいらないのにとか言っていたらしい。後者について姉は「そういう問題じゃないだろ」と思ったが言わなかったとか。賢明な姉。

 そして扶養照会に対し母は「引き取って扶養する」と書いてきたが、これは生活保護のカテゴリで書いたとおり、わたしが拒否したので強制されることはなかった。そして生活保護の受給が認められた。

 あとついでにいうと扶養照会は母と妹にしか行われなかった。父と姉は母と同居していて、妹だけが結婚して独立して生計を別にしているので。祖父母まではいかなかった。まあ、ほっとした。

 かたくなに「おまえは絶対に生活保護受給なんかできない」と言い続けた母はこの結果についてどう思っているんだろうとたまに考える。まあ泥風呂につかり石水で米を炊いて祭壇に祈って、たまにパートに出ていれば、そんなことを思う暇もないかもしれない。マルチカルト所属だから忙しいのだ。

 

 

 で、最後に、話は変わるが保護課の相談員さんがやめるらしい。まえは異動になるかもということで多少ショックを受けるくらいだったのだが、いまはなんかどうでもよくなってしまっている。いろいろと世話をしてくださったことには感謝してもしきれないのだが、母の話をしたとき、相談員さんも母親だからなのか、それともわたしの意見とのバランスを取ろうと考えたのか、「お母さんにもなにか事情があって……」と発言したのだ。

 なんだか、ものすごくさめてしまった。気持ちが引いたというか。わたしはずっと、二十年間、ずっと、母の事情について考えつづけてきた。考えなければいけない立場にあった。なんなら母の幼少期からいままでの成育歴さえ知らされている。事情なんかすべて承知のうえだ。母がどれだけ苦しい思いでいままで生きてきたかも、何度も考えた。けれど、母の事情がどのようなたぐいのものであろうと、わたしの人生ともはや切り離されているべきものだったのだとやっと理解したのだ。

 そこに、「お母さん側の事情もあるから、考えてあげないと」とでもいうような、世間的な正論をかけられて、ああ、このひともふつうの家庭で育ってふつうの家庭を築いたふつうのひとなんだ、というあたりまえのことを理解して、それならこう言うのも道理なのだろうなと了解した。結局この相談員さんも、わたしのことをふいに普通の正論で道理をもって善意のナイフで心臓を狙ってくる、幸福な人間と変わりはしないんだなというそういう幼稚なことを考えた。

 おかげで、相談員さんが仕事を辞めるということを聞いてもそうショックは受けなかったので、結果オーライだと思う。つぎはどんなひとかな。まあなんにしろ、ふつうのひとなのだろう。