うつでなまぽ

うつ病でPTSDでアスペで生活保護受給中の生きものがいろいろ書きます。

精神科受診「よくわからない心理検査」

 精神科で絵を描かせるとなるとたいていが木。どうして? 不思議だ。森林限界のさきにすむ精神病患者にも木の絵を描かせるんだろうか。この木なんの木気になる木。バウムテストとかツリーテストとか呼ぶらしい。スイスのなんとかとかいうひとが考案したとかなんとか。なるほど、だからバウムなんだな、バウムクーヘンのバウムだ。医学用語がドイツ語の時代だったのか、このなんとかさんのつかっていた言語がおもにドイツ語だったのかは知らないけど。

 

 わたしは絵がうまいというわけではないけどまあていねいに描こう……とは思って描いた。「実のなる木を一本描いてください」ということだったので、まあそこはこう……上三つ又で下も三つ又の独鈷しょ? みたいなやつ、ああいう木を描いて、葉っぱは書かなかった。イメージになかったので。果物はりんご。そう見えなかったかもしれないけど。一個で。

 葉っぱは書いたほうが自然な気がしはしたけど描かなかった。イメージに合わなかったから。あとで理由を聞かれたとき「たぶんこれはもがれ忘れたりんごで、冬が来てしまったんだ」とか説明したような気がする。そのまえにはこの木にあなたはどういうイメージを抱いているかときかれたときには「これはりんご農家の木で、一個だけりんごが残っているのがわざとなのか忘れられたのかと不思議に思いながら道を通り過ぎるときに見る」という説明をしていたのに、自分で答えを出してしまった。というかりんごの木って丸裸になる? 意味不明だな。ずぶぬれだったのでちょっと頭がおかしかったのかな。

 地面は描かなかった。実のなる木を一本というオーダーだったので、地面も空も描かなかった。言われてないものはわざわざ描かない。実のなる木を一本と言われたのだからね。

 

 まあそんなかんたんな絵なのですぐに描き終わって、見てみるとまあ絵が小さい。貧相だ。全体的にちいさいしりんごも小さい。これでなにがわかるのだろうと思っていると、臨床心理士さんが、もう一枚画用紙を取り出し、こんどはボールペンで枠線を引いた。このとき、わたしは「なんだか遺影みたいだなあ」と思った。

 臨床心理士さんはまた同じ、実のなる木を一本というオーダーだったので、こんどは、さっきの木の遺影を描くことにした。木の遺影ってなんだよと言われても困るが。さっきとほとんどおなじ絵を、ただ遺影なので根っこは描かず、全体的にやや大きめに。遺影だから。遺影だからしかたない。りんごの実をべつの枝に書こうかと思ったけど、やめた。りんごはこの枝にあるべきだと思ったので、動かさなかった。あるべきものはあるべき場所にあるべきだ。

 

 そして絵についての質問タイム。上でも書いたようなこととかなんとかいろいろ。ひとによってはこの絵で相手の性格がぜんぶわかる! というようなひともいるらしいが、テストしてくれた臨床心理士の先生はそうは思わないらしい。ただ一面くらいはわかるかもとか、いちばん自分をわかってるのはあなただから的なことを言われたがいや……わからん……さっきも木の遺影とかいう意味のわからんもの描いたばかりだし自分がわからん。

 とりあえず遺影のほうの木が安らかなのだという話はした。りんごはもがれ忘れたのか意味があってあえてもがずにいるのかわからないけど、もうどうだっていいし、腐って落ちることも鳥につつかれることもない。もう葉っぱがうっとうしく茂ることもなく、実がたわわになってもがれなくてもいい。いや、もう遺影であるから、そういうことを感じるのは客体であるわたしだ。いなくなってしまった木が、こうして遺影になることで、わたしはりんごの木がもう存在しないことを確認できるし、忘れることができるし、思い出すこともできる。遺影によって。

 その後この木はあなた自身だという気はするかというようなことを訊かれたが、否定した。わたしはいつだってながめているだけだ。描かれたりはしない。ながめるのはわたしのほうだ。とかいってながめられていたりするんだろうな。

 

 先生たちの見解はつぎの受診のときに聞かせてもらえるそうだ。しかし、帰りながらどうしてあんな絵を描いたものだろうと自分ながら不思議に思ったりした。酔ってるとでも思われたんじゃなかろうか。問題作を残してきた、そんな気がする。いや、でも、ただの典型的な絵なのかもしれない。木の遺影。そんなことはないか。