うつでなまぽ

うつ病でPTSDでアスペで生活保護受給中の生きものがいろいろ書きます。

読書「うつ病と複雑性PTSDと世界の砂とフビライ汗と動物学」

 ひっさしぶりに図書館に行った。図書館は好きだ。本がたくさんあるからだ。でも座り心地のいい椅子はない。だから借りて帰って家で読むのが定石。それがおっくうでしばらく通っていなかった。

 目的のひとつは鉱物学、宇宙学の基礎の本を借りること。

 もうひとつは、うつ病複雑性PTSDの本を借りること。

 あとは、てきとうに目についた本を借りること。

 以上だ。

 

宇宙学

 これについては、宮本正太郎氏著作の「宇宙についての基礎知識」という文庫本を借りた。基礎知識。ぴったりではないか。喜び勇んで本を開く。ページをめくってみる。読む。わからん。

望遠鏡の性能がよくなった前の世紀、一八三八年に、ドイツのベッセルが白鳥座の六十一番星の視差検出に成功しました。地球の公転によるこの星の位置のずれは、わずかに〇・六秒角でした。このことは言いかえますと、六十一番星から眺めると、地球公転の軌道直径三億キロがわずかに 角度の〇・六秒に見えるということでもあります。

 

宮本正太郎氏著作「宇宙についての基礎知識」十五ページより

  わからん。言いかえられてもわからん。あ、視差については前のページに書いてあるのでそれは理解できるのだけど、わから……いやこうやって文章をよくよく読むとわかった……ような……気がする! あっわかった! そういうことかわかった! よかった! でも角度の〇・六秒ってなに! わからない! でもわかった気がする!

 しかし、前のページに絶望的なひと言があった。「三角測量の原理をつかう」。それって……あれですかね……mathematics……宇宙学天文学には、数学というそういうものが必要だと……いやそれはそうなんですけど……三角関数もわからないのに……サインコサインタンジェントというひびきしか知らないのに……。

 まあおいおい勉強していくしかないな……と思いつつ、この文庫本を、古文書を読むようにしてのろのろと解読していく。

 

鉱物学

 鉱物学はたくさん本を借りた。鉱物結晶図鑑、図説・世界を変えた50の鉱物、写真でわかる特徴と分類・世界の砂図鑑。そして鉱物学入門! やはり入門書がなくてははじまらない。というか宇宙学の時点で「これは……児童向けの理科の本を借りたほうがいいのでは……?」と思ったが、もう借りて持って帰ってきてしまっていたので、それはこんどにする。

 昭和47年3月5日に初版発行されたというこの本。古い本の甘い匂いにまじって、石のにおいがする……気がする! まだ読んでいないがぱらぱらとめくり、そして閉じる。

 数学と物理の強烈な波動を感じる……!

 いやこれはある程度予想していた。考えても見てほしい。原子や物質ごとの性質によって、鉱物は独自に結晶する。それを表現するのに数学と物理が必要なのは至極当然のことだ。問題なのはわたしが「物理……頭のいいひとがやる学問!」という認識でいることだ。これを取っ払い、物理基礎からはじめないかぎり、鉱物学の門をくぐることはできない。この門をくぐるもの、数学と物理のいっさいを習得せよ。

 とりあえずモチベーションアップのためひと通り読むことだけは決心しておく。こころ、折れませんように。

 

うつ病

 これは本が多すぎてよくわからなかったので、とりあえずうつ病診療のコツと落とし穴という本を借りた。

 擬態うつ病というのがずっと気になっているのでひと通りよむつもり。

 自分の病気のことを調べると、アダルトチルドレンにありがちな「ひとの期待に沿おうとする」という性質や、単にうつ病であることの利得を得るために、うつ病を演じてしまうということが起こりうるのではないかと思って専門書は避けていたのだけど、もうなんというか自分を信じて自分の病気と向き合うために知識を得ることにした。自分を信じて……というか見切り発車というかなんというか……その迷いがちょっとよくわからないチョイスをさせたのかもしれない。いろんな精神科医の論文まとめのようで、なかなかおもしろそうだ。

 

複雑性PTSD

 どうやらわたしはPTSDらしいということは初診時に言われた。PTSDからきているうつ病だろうと。ネットでPTSDについて調べると、いちおう基準があって、児童虐待のように慢性的に繰り返されたことによって引き起こされたPTSD複雑性PTSDと呼ぶようだ。

 こころのライブラリー(11)PTSD心的外傷後ストレス障害)というのを借りた。まあPTSDも複雑性もそーんなに変わらんだろという勝手な予断である。

 

 あと、その後の不自由 「嵐」のあとを生きる人たち という本を借りた。これはもう読み終わった。PTSD……を直接扱っているわけではなく、薬物・アルコール中毒者サポート施設ダルクの女性ハウス代表者の方が著者となっている。薬物やアルコールに手を出して、依存症になるまでになってしまった女性たち、とだけいうとなんだかだらしのない、享楽的に生きる人間のようなイメージを抱くかもしれない。

 けれども依存症者の多くはたいていが繊細であったり傷ついていたりして弱った人間だ。そして知識のない人間でもある。自分のさびしさや焦燥感やいろいろなことを、埋めるすべをほかに知らないのだ。教えてくれる家族にめぐまれなかったり、そのほかにいろいろな理由があったりと。なかには小学三年生レベルの教育を受けたことまでしか覚えていないようなひともいるし、フラッシュバックをともなうPTSDをかかえているひともいる。そういうひとたちが、なんとか生きていくためのサポート、自分の状態をことばにする技術、言ってしまえば、社会的人間になる方法を学んでいくうえでの困難や挫折や成功などを読みやすい文章で書いてある。

 ぜひいろんなひとに読んでほしいなと思う本だ。依存症には本人が弱いからとかそういう偏見がつきまとうが、この本を読むと、彼女らは強く生きてきた、サバイバーなのだなということがとてもよくわかる。

 わたしとしては、たまに自分と重なるところが出てくるのもおもしろかった。とくに、自分がマシだと思えるから、ひどい話の本を読むのが好き、という女性の話。わたしも小学生のころ戦争の本、731部隊ユダヤ人虐殺、原爆文学、ベトナム戦争の本などを読みあさっていた。わたしはこのひとたちよりはまし。服は洗濯してもらえるし、家族といっしょにいられるし、悪いことをしなければごはんも食べられる。ときどきちょっと殴られるだけ、ちょっとお母さんの気持ちが不安定なだけ、だいじょうぶ、わたしはしあわせ。なんて気色の悪い子どもだったことだろう。

 

フビライ汗と動物学

 ならべてみたが関連性はない。そしてフビライ汗はふびらいあせではなくふびらいかんである。ハンと呼ばれることもあるという。汗、すなわちカンあるいはハンはモンゴルで王をあらわす言葉らしい。それ以上は読んでいない。シュトヘル完結記念(遅い)に読んでみることにした。

 

 もう一冊はナマケモノはなぜ「怠け者」なのかという本。こういう雑学系の本が好きだ。ざんねんないきものとか。だから借りた。読むのを楽しみにしている。

 

 

 雨が降っているせいか精神状態があまりよくない。よくわからないことで泣いてしまった。自分の生きる価値がないと感じる。意味もない。消えてしまいたい。なぜ人間は生きることばかりを尊ぶのか。武士道は死ぬことと見つけたりという言葉は世界にはなじまないのか。ひとは増えている。なら、処方を変えるように、治療を変えるように、「じゃあ、死にましょうか」というふうな治療法としての死は日本にはやってこないものだろうか。子宮と卵巣と卵子は提供するので、子宮はだれかほしいひとにやって、卵子は大きなジップロックのような人工子宮のなかで、あのヤギのようにつくってほしい。勝手に。わたしは死んでいるのでもう関係ないが、不出来な子は間引いてやってほしい。わたしのように思い悩ませたくはないから。

 大学の教科書を片付けようと思ったが、手を触れることもできなかった。もうにどともどることのできない分野だ。世界だ。それがおそろしいのかなんなのかわからない。