うつでなまぽ

うつ病でPTSDでアスペで生活保護受給中の生きものがいろいろ書きます。

うつ「多少吹っ切れた気持ち その後」

 前の記事のつづきというかなんというか。

 

 前の記事でわたしが妹を過剰に子ども扱いしているのがわかると思うが、冷静に考えてみた。妹はわたしの四つ年下。アラサー。既婚。ふたりの子持ち。

 むっちゃ大人やんけ!!!!!!!!!!!!

 これに気付いたとき、自分の精神年齢の停止っぷりに引いた。自分の精神年齢があるところで停止してしまって成長していないから、妹のことを過剰に子ども扱いしていたのだ。正直、10歳くらいのイメージだった。しかしアラサーだった。すでに妹は大人だし、まあわたしはそうは思わないけれど、社会通念的にいけば、結婚して子どもがいるぶんわたしより大人であるともいえる。

 

 というわけで、なにげなさをまったく装えないまま、LINE(妹とはLINEで連絡を取っている)で妹に「小さいころ母に離婚するとか言われたことある?」ときいてみた。多少世間話は挟んだよ! でもこれをききたいっていうのはあからさまだったろうな。

 妹の答えはイエス。妹ータス、おまえもか……なにげにかなりショックだった。母は妹をかわいがってると思っていた。ばかばかしいけど、妹にはなにも知らずにいてほしかった。できれば姉にも。よくわからん、勝手な感傷だけど。

 ちなみに妹は幼すぎて? 言っている内容がわからず、なんと答えたかは覚えていないという。そして翌日幼稚園に行って「うち、離婚するんだって」と言いふらしたらしい。たぶん最高だよおまえ。年少さんくらいのときに言われたのだろうか? わたしは小学一年生以前に言われた記憶がある。

 このあと「正直おまえを子どもあつかいしていた……なにも知らないでいてほしかった……しかしおまえもアラサー……」とセンチメンタルな気持ち悪さを前面に押し出したところで、妹が「おまえもな」というスタンプをよこした。そうだ。サーティーワンはアラサーだし鋭いのだった。

 

 義弟が東京に行っているとのことでさりげなく「東京ごまたまごっておいしいよな」という情報を吹き込んでから、LINEを終了した。

 そしてシスコンの炎が地獄のように我が胸に燃え……なかった。べつに姉より妹を軽んじたわけではたぶんなくて、幼い娘三人を、ひとりずつつかまえて分断して、「離婚するよ」と言った母に哀れみよりもっとずっとむなしいような感情がわいた。ほんとうに離婚する気だったらまとめて訊くだろう。というか、その場合、わたしが「いいよ、離婚しなよ」と言ったときに「あんたたちのせいで離婚しないんだから」などと言った母の発言と矛盾する。母は親に依存するしかない幼子に、自分の影響がどれほどあるかはかりたかったのだ。妹は言っていた。「お母さんは大人になれなかった人だから」。母の結婚以前の家庭事情のむずかしさも知っている。母はわたしに、だから早く自分の家庭がほしかったと言った。それがこれかと、ものすごくむなしくなったのだ。

 

 妹はそれでも父母のことが「ふつう。嫌いではない」そうだ。「わたしはきらいなんだよなあ…」というと「仕方ないと思うよ、それは」と受容してくれた。お、おとなだ……部屋はごみ屋敷だけど大人だこいつ……。大人なら部屋の掃除をしろ……いやそれはどうでもいい。

 

 殴られていたのがわたしだけだったので、なんとなく、母が愚痴のごみ箱にしているのもわたしだけかと思っていた。だから、わたしのせいでこうなったんだ、わたしが悪いんだ、と思っていられた。しかしそうじゃなかったようだ。父母はどうも親になるべき人間ではなかったらしい。外面がいいだけの屑だったのだ。

 前記事で、あいつらがおかしいと繰り返しはしたが、その事実は正直言ってあまり救いにはならない。「わたしのせいだ、わたしが悪かった」という気持ちの悪い自責感の裏には、「わたしにならどうにかできたはずだ」というゆがんでいるが希望、自己効力感めいたものが張り付いている。それすらなくなった。

 父母が出会い、付き合いだして、結婚した瞬間から、姉とわたしと妹とは、地獄の家庭に生れ落ちることが決定していたというわけだ。なんたる理不尽。あいつら、ラブレターなんか書きあってたくせに。読んだぞわたしは。内容は黙っておく。愛にあふれていた。このふたりがやがて結婚し、地獄を形成するとはとても思えないほどに。

 

 そしてもうひとつ、われら三姉妹はみんながみんなごみ箱だったわけだが、えぐいものを捨てるごみ箱は、どうやらわたしと決まっていたらしい。なぜならわたしは父に殴られていて、母も父から暴力を受けていたから。これを理由に、母はわたしを仲間だと感じていたようだ。わたしもうっすら察していたが、姉が見てもそうだったようだから、たぶん間違いないのだろう。敵の敵は味方。そう思ったらしい。わたしにとっては敵の敵もまた敵だったわけだが。子どものころのわたしが、父母が敵という認識をまだうまく扱えず、愛されたい、好かれたい、ほめてほしいといろいろやってやっていたのも災いしたのかもしれない。

 

 表題どおり、多少吹っ切れた感はある。父は関係ないんだが父のこともなんだかどうでもよくなった。母と結婚したような男だ。それで離婚しないでいるような男だ。どうでもいい。かけてくれた金と、彼なりの愛情には感謝してもいい。でも、もう、ほんとうにどうでもよくなってしまった。

 

 多少吹っ切れた気持ちだし、好きなことをやって生きて行ってやると思うのはたしかにそうだが、だからといってうつ病が吹っ飛ぶというわけでもないんだよなあ……父母の残した置き土産に、わたしはいつまで苦しめられるんだろうなあ……という、気持ちもないではない。

 でも知ることができたのはよかったなと思う。姉とは直接会ってざっくばらんに愚痴でも言い合おうという話をした。カラオケで。泣くかもしれんなと言っていたので、そしたら雰囲気的には居酒屋がいいな、酒と泪と姉と妹。わたし、服薬中なのでお酒飲まないけど。妹も誘いたいが、子どもふたりいるし、連れてきたりなんかしたら姪っ子なんかもう小2だから、いろいろ察しちゃうからなあ。でも、姉妹三人+姪甥でいっしょにただ遊ぶのも、たのしいかもしれない。話がそれているけど。

 

 まあそんな感じで、以上。