うつでなまぽ

うつ病でPTSDでアスペで生活保護受給中の生きものがいろいろ書きます。

うつ「多少吹っ切れた気持ちになった」

 昨日、ちょっと姉と腹を多少割った話をした。腹筋の話しじゃなくて。わかるよな。腑を見せあったんだ。切腹でもなくて。なんとなく、わたしと姉、わたしと妹のあいだでは、父や母の虐待についてはふれない、という不文律ができあがっていた。理由はじつに簡単で、姉も妹もどちらも、わたしが受けた傷が深いことをよくわかっていてくれたからだと思う。それに、自分らの傷も深かったからだ。父母はまったくわかっていないが。

 それでもわたしは姉とは多少相性が悪いというか、話していて勝手にわたしのガラスのハートが傷つくことが多かったこと、姉がまだ実家にいることを理由に、しばらく、わたしから一方的に連絡を断絶していた。最近わたしから気まぐれに身勝手に国交樹立させたのだが、まあ姉は久しぶりだな程度の態度で受け止めてくれた。寛容だ……。うちの あねは すごいなあ。 ぼくには とても できない。

 

 で、Twitterでの鍵アカウントどうしでつながり、お互いオタクなのでわたしが最近読みかえしているNARUTOをよめ! 読むんだ! と強要するのを、72巻ぶんの漫画よむとか無理と拒絶されたり、姉がFateGOとかをやりまくってるソシャカスであるのをながめたり(課金はちょっとしてしまった……と言っていた)、そこそこうまいこと仲良くしていた。

 

 そして昨日ふと、以前わたしの部屋にあった数学の参考書がほしくなった。数学の勉強がしたくなったのだ。鉱物学でも天文学でも数学がいるんだ……と気づいて。ちなみにわたしは中学・高校と不登校だったり通信制だったりで、微分積分もできない。そのくせ数IIICとかをやって行列はできる。という変な感じのやつだ。

 まあ母が本棚が壊れたんだけど本どうするか見に来ない? って言われたときに死んでもいやで、すべて処分してくれてけっこうですと言ったので、残っている可能性は低かったんだが、あったらラッキーだなという気持ちで姉に、以前わたしの部屋だった部屋はいまどうなっているか、と訊いた。すると母のおこもり部屋になっているという。なるほど~~~でしょうね~~~と思った。

 説明しよう。母のおこもりとは、中学生のように部屋に閉じこもってみんなの関心を引こうという一種の引きこもり行動である。昔は呼びに行って愚痴を聞いてやったり慰めてやったりしていたなあ。なんというむだな時間を過ごしたことか。

 

 そしていま現在母がおこもっていらっしゃるので確認するのは無理ということだった。これが端緒だった。いつもだったらふーんで済ますところだったのだが、Twitterだし顔も見えないしーというわけで、軽ーく、母はまだ病んでるのか、マルチのカルトにハマってるのか、と訊いてみた。どっちもイエス。アーメン。

 また説明しよう。母が病んでいるかとは、わたしたちが子どものころから母はどう考えても病んでいて、情緒不安定だった。突然怒っては泣き、泣いてはわめき散らし、他人の悪口を延々とわたしに聞かせた。病んでいるというか性格がおかしかったのかもしれない。彼女に精神科の通院歴があるかどうかは知らない。いろんな病院に通ってはいたが。

 もうひとつ。ここでいうマルチカルトとは……名前を直接挙げたくない(めんどくさいことになりそうだから)ので多少伏せるが、「最善集団」という自称:宗教ではない自己啓発的集団だ。水に石を浸してそれで米を炊いたり、その石を細かく砕いたものを風呂水にいれたり、化粧品類に混ぜ込んだりしている。石やら入浴剤やら化粧品類は値段は知らんがたぶん安くはないだろう。しかし石は、彼らはクッソダッサイ呼び名で呼んでいるが、実際の名前はペグマタイトという火成岩の一種であり、性質上純粋かつ大きな鉱石を作ってくれる優秀な鉱床だが、石自体は火成岩にすぎないので大した値段ではないだろう。しかも砕かれたくず石ならばなおさら。

 参考:ペグマタイト - Wikipedia

 

 しかも最近母は、父が不倫してるだの離婚だのと騒いで、姉に「これ書いておいて」と言って離婚届の承認欄に名前を書かせたそうだ。ジーザス。離婚届の証人欄、これ書いておいてで娘に書かせる母親ってなんだ。証人はふたり必要だが、それは妹に書かせるつもりだったらしい。実行しなかったようだが。ジーザス。みだりに神の名をお呼びして申しわけありません。それってつまり離婚するふたりも証人ふたりも名字同じってことじゃん? そんな離婚届あるんだ? あと離婚届ってほんとうに緑らしい。見たこともないから知らなかったけれども。

 実際父が不倫してるのかは知らない。父の言い分も聞いていないし、わたしには判断できない。しかし、母はずっと離婚したいと言っていたのに、相手有責での離婚にこぎつけられるというのに、なにを騒ぐ必要があるのかわからない。さっさとすればいい、それだけだ。

 

 離婚という言葉は昔から聞いてきた。子どものころから。母の離婚するという言葉は幼いわたしには響かなかった。何度も聞かされていたからでもあるし、最初から、あきらかに、「離婚しないで」という言葉を求めているのがありありとわかったからでもあった。そうやって母は自分の影響力を確かめたかったのだ。そのとおりに動くのが嫌だった。わたしは言った。「いいよ、おかあさんがしたいならすればいい。離婚しなよ」と。

 そうすると母はこう言った。「できないんだよ、あんたたちがいるから、あんたたちのために離婚できないんだからね」と。よく言われる言葉だ。子どもがいるから離婚しない。子どもには父親が必要だから。と、子どもを理由にする。賢い眞邇摩ちゃんもこれにはすこしばかり傷ついた。なんだかんだでだいすきなおかあさんの、やりたいことの邪魔を、わたしはしているらしい。わたしたちは、いないほうがいいらしい。どこかでさめた眞邇摩ちゃんが言う。勝手に理由にするなよ。金が理由のくせに。傷の痛みに対して、声はあまりに小さかった。

 

 そして姉も同じことを言われていた。姉は性格的な違いか直接的な虐待を受けていなかった影響か、父母に離婚してほしくなかったらしい。そんな姉には母はこう言った。離婚する、あんたはどっちについていくの!? と。姉は離婚してほしくないわけだから、父とも母とも離れたくないわけだ。それがわかっていて選ばせようとした。離婚しないでと言って泣いて、どちらも選ばなかった。これがきっと母にとっての及第点。満点は、離婚しないでと言って泣いて、母を選ぶことだったのだろう。

 

 この姉の話を聞いたとき、わたしはぞっとした。ああ、あのひとは衝動的にではなく、子どもの傷つけかたを選んでたんだ。それだけの理性があったんだ。いちばん傷つく方法をわかっていて、それを行使していたんだ。子どもがたくさん傷ついて、自分に関心を向けるように。自分の影響力を確かめるために。

 もしかしたら、妹にもそうしていたのかもしれない。訊く勇気がないが。わたしにとっては妹は、ずっとずっと妹で、もう二十代後半でアラサーなわけだが、それでもやっぱり子どもに思える。いじめていたことも関係しているかもしれない。なにも知らないでいてくれるならそのほうがいいとも思う。でもそういうふうに、知らないものとしてあつかうことは、妹の口をふさぐ行為でもあるのかもしれない。うーんうーん。遠回しに訊こうかな。熟考が必要であろう。

 

 で、でだ、すっごく変な話かもしれないけど、父母に対しずっと抱えていた申しわけなさみたいなのが、ぜんぶ吹っ飛んだ。どうでもよくなった。サンドバックだったこともごみ箱だったことも。許したってわけじゃぜんぜんなくて、でもぐずぐずした憎しみじゃなくて、炎みたいな、乾いた怒りが胸にある。ことばにするなら、「よくもわたしの姉を傷つけてくれたな」かな。シスコンすぎるか。でも正直なところそうだ。

 姉が好きなときもあったし嫌いなときもあった。でも、わたしにやったこととおなじことを、一部とはいえ、姉にもやっていた。姉もごみ箱にしていた。そのことがどうしても許しがたい。

 両親に申しわけないなんて思う必要はなかった。わたしのせいで両親がおかしくなってしまったのかもしれないなんて思い悩む必要もなかった。わたしがちゃんとしていればなんて、どれだけばかばかしい勘違いだったことだろう。

 絶対に、悪いのはあいつらだ。狂ってるのはあいつらだ。絶対に絶対に絶対に、おかしいのはあいつらだ。

 

 生まれるって理不尽だ! 紛争地域で生まれる子どももいれば、都心のリッチな環境のなかに生まれる子どももいる。腹の中で死んでしまう子どももいる、殺される子どももいる、病気を持って生まれる子どももいる、そしてわたしたちのような子どももいる。

 

 また、立ち戻ってわたしが悪いという思考に陥ることがあるかもしれない。いままでみたいに、これから生きていくために割く労力が、これから生きていくことの価値に見合うとは思えない、死んだほうが楽だと思うかもしれない。

 でもいまは思う。絶対に不幸に死んでなんかやるものか。好きなことして幸福に生きてやる。