うつでなまぽ

うつ病でPTSDでアスペで生活保護受給中の生きものがいろいろ書きます。

うつ「こんにちはフラッシュバック」

 ちょっとまえに山口氏(不起訴になったので容疑者ではなくなったらしい)の強制わいせつ事件の記事を書いてからブログのPV数がなんかめちゃめちゃ増えとる。いつも100前後なのに昨日739PV、きょうは20:27現在1151PV。アクセス先はほとんどがというかほぼすべてがその記事。みんな関心があるんだな。でも、「山口 被害者 特定」みたいなキーワードで検索してきた輩は地獄の火に焼かれてください。

 コメントとかはじめていただきました。ありがとうございます。まったくありがたくないコメントもありブログかよみたいな長さのコメントを返したコメントもありただただありがたいコメントもありとさまざまだったけれども。

 

 で表題に入るが、あの記事を書いたことで? 平気だと思っていたわたし自身の性被害が、平気じゃないということがわかった。

 

契機

 これはよくわからない。記事を書くために山口氏の強制わいせつ事件のことを調べていたのが蓄積して爆発したのかもしれない。ただ、そのときは事件のことは考えていなくて、ふっと頭をよぎっただけだった。ずっと年上の男に無理やり口を舐められるなんて(レイプをセックスと呼びたくないように、無理やりの口の接触をキスと呼びたくない)、いやだったろうな、と。

 その瞬間、ぶわっと自分の体験したその時の記憶がなまなましくよみがえってきた。無理やり押さえ込まれた記憶、このまま強姦されるかもしれない、殺されるかもしれないと思ったこと、口を舐めてくる舌の吐き気がしそうな感触。トレーナーをまさぐってくる手のがさがさした手の気持ち悪さ。は? と思った。だっていままで平気だったのに。役所の職員さんに話すときも、主治医の先生の話すときも平気で、彼らがわたしを過剰に気づかってくれるのを、「そんなふうに気づかってくれなくても、わたしは平気なのに」と思ってすらいたのに、なんで急に嫌悪感が立ちのぼってきたのかさっぱりわからない。

 ただ、思ったのは、ほんとうはわたしはずっとこの傷を抱えてたんじゃないかということだった。父に言われた「最後までされたわけじゃないんだろう」という言葉があまりに衝撃だったせいで、こっちの傷の痛みを忘れてしまっていたのかもしれない。実際、この傷を父に黙っていられなかったから、耐えられないことだったから、父にわたしの体験をぶつけて、この言葉を食らったのだ。このことは気づかなかっただけで、ずっとわたしの傷だったんだ。

 それだけじゃない、その当時、わたしは父の息子になりたかった。男の子になりたかった。男の子が、女として性被害を受けて、それを傷に思うなんて矛盾している。そういうばかばかしい論理で、わたしはこの傷を封じ込めたかったんだ。

 あの事件が気になったのは、そこにあるのがわたし自身の傷だったからだ。

 

それから

 精神的ショックを受けたやつがよくするようにトイレで吐いた。ほとんど食事していないので水を飲んでは吐くという最悪な状況。しばらくして落ち着いた。

 どうやらわたしは家族のことと、性被害と、ふたつのPTSDを抱えているらしい。後者はまだ診断されていないわけだが。いやなんでだよ。世の中もっとつらい思いをしているひとはいるとかいうそういう正論はどうでもいい。なんでわたしがこんなに苦しまなくちゃならないんだ。

 PTSDは治らないものらしい。どうにかその傷と記憶とに折り合いをつけて生きていくしかないものらしい。でもどうやって折り合いをつけられるんだろう。

 家族のことからいったん目をそらす、それだけのために二年かかった。つぎは何年かかるんだろう? なんのために、他人のものもふくめて、その時間と労力とお金を費やすんだろう? それでわたしはなにを得られるんだろう? さっぱりわからない。もうなにもがんばりたくない。無駄じゃないか。生きていることも生きていくこともあまりにコストが大きすぎて、すでにわたしには背負いきれていないのに、これ以上の負債を背負って生きていく意味ってなにかあるんだろうか? ぜんぜんわからない。

 

最後に

 さて、ここまで赤裸々に語ったことにはいちおう意味がある。上記の体験からすでに10年以上経過し、わたしは大人になった。一時期はきちんと働いていたし、問題なく生きていけると思っていた時期もあった。それがこれだ。精神病院通いに生活保護。むろんわたしの場合は家族によるPTSDの割合が大きいのだが、いまにいたってやっと、性被害のダメージについても語れるようになった。

 10年以上だ。それだけたってもまだ、強制わいせつだか、強姦未遂だかの記憶は消えていない。むしろよみがえってきた。性被害について軽率に語る諸氏はこの点についてよく考えてほしい。

 また、山口氏の強制わいせつ事件において被害者を特定しようなどという悪辣な取り組みをしているかたがたには、どうか彼女をそっとしておいてやれと言っておきたい。ただでさえ傷ついているものをさらに引き裂くことになることがわかっていないならなおさらだ。「知りたい」と思うのはあたりまえだが、それにともなう被害や痛みを想像もできないもの、あるいは想像する気もない、他人の痛みなどどうでもいいというなら、とりあえず言っておきたい。くたばりやがれクソどもと。

 

 以上!