うつでなまぽ

うつ病でPTSDでアスペで生活保護受給中の生きものがいろいろ書きます。

精神科受診「言葉が足りなかったのか、理解が足りないのか」

 現状をつたえる力が足りないのか、現状の理解が足りないのか、わからずにいる。このまえの受診のときに主治医の先生といろいろ話したとき、両親のことは、いったん棚上げにはできないかというふうに言われた。個人的には、すでにそうしているつもりで、両親に関する、姉妹に関する、いろんな心配ごとをいまは考えないようにしている。父親がボケたら介護はだれがすんのかなとか母親がマルチ宗教に突っ込んでる金のことだとか姉が両親に依存していて現状を変える気がないだろうこととか妹のいろいろとか。そんなことは関係ないと思っている。それだけじゃだめなんだろうか。もっと切り取らなければいけないんだろうか。

 

 しかしたしかに受診のたびに父が母がと話している現状がある。自分のことをもっと考えて自分のことを話すべきだったのかもしれない。過去両親がどうあろうともはや成人を越え家を出た以上、どんな傷を抱えていても自分で生きていかなければならない立場で、両親のことをぐずぐずと引きずっているのは甘えだというそういうことなのかもしれない。いつまでも両親のせいだと考えて、両親が悪かったんだと思って、自己憐憫に逃げているように見えるのかもしれないし実際そうなのかもしれない。

 以前は両親が死んでくれたら、あるいは自分の手で殺せたなら、そのとき自分の人生がはじめられるような気がしていた。漫画「シュトヘル」でメルミという少女が似たようなことを言っていてややドキッとした。「あいつが生きているかぎりわたしはどんな生きかたもはじめられない」と。たぶんそのとおりだといまは思っている。実際に死んだら考えがどう変わるかわからないし、主治医はそんなことはないというけど、あのふたりが死んだ世界はどんなに明るく感じるだろうと思う。勘違いにすぎないのだろうか。

 

 主治医からすると、自分は、両親につけられた傷に依存して、かさぶたを剥がしてにじむ血をなめて生きているのかもしれない。実際にそうなのかもしれない。あるいは主治医はそんなことを考えていないかもしれないし、自分も実際にはそんなことはしていないのかもしれない。よくわからない。

 でもあたらしいことをはじめる時期に差し掛かっていると言われた。いや、死ぬほど体調悪くてだるいし固形物が食べられなくなりつつあるんだけど、それを言うのは忘れた。もしくは新しいことをはじめることで改善するのかも。わからない。

 

 とにかくどうにかして微熱が下がってほしい、なんだこの熱はいつまでつづくつもりだ。