うつでなまぽ

うつ病でPTSDでアスペで生活保護受給中の生きものがいろいろ書きます。

むかしのはなし「通信制高校のはなし」

 そこそこの進学校に入学したものの結局潰れて教師のすすめかなにかで通信制の高校に移ったのだが、そこそこの進学校に最後の登校というか書類的なあれこれとかあいさつをしにいくとき、なぜかたぶんいちどもあったことがないはずの美術の教師が出てきて「実は先生はがんで」みたいな話を始めたんだよ。は? って思うだろ? でも始めたんだよなあ。

 そのがんという事実とまったく親しくない老齢の美術の先生というインパクトが強すぎて肝心の話の内容も教師の名前も記憶のかなたなのだけど、とにかく、なんか、おまえはまだ若い、あたらしい場所で頑張って行け、みたいな励ましの内容だったと思う。たぶんありがたいお言葉だったのだ。当時は「この先生だれ……? てかがんてなに? なんでそれをいう? は?」って感じだったけれども。五月晴れできれいな青空のみえる日で、自衛隊のヘリコプターがときどきバリバリ言っていた。

 これで話が終わるかというとそうではなくて、通信制高校でも美術の授業みたいなのがあって、自画像を描くとかいうやつだったんだけど、そのとき会ったやはり老齢の美術の先生、実はがんで末期で助からないとわかっていて仕事をしていたらしく、次の月(月一で登校日があった)にはあの先生亡くなったんだよという情報が入り、美術の先生=がんで死ぬみたいなイメージが固まってしまった。

 

 通信制入学はなんか……面接のみだった気がする。かたい感じじゃなく、懇談みたいな。面接官の先生にいろいろ訊かれたのだが、最後に「なぜきみはこの高校に入って勉強したいか」ときかれ、たしか、「知らないよりも知っているほうがいいことが多いと思うからです」と答えた……と思う。そしたら先生は、「まえに入学した60歳(70歳だったっけ?)のおばあさんもきみとおなじことを言っていた」と言った。かぶっていた。知らないうちに。パクリではないのでゆるしてほしい。

 このころは勉強して勉強して大人になって救われると思ってた、夢みる年ごろであったことよな。このころの自分に言えることがあるとすれば、努力しても救われないことはあるので、それなりに覚悟しておけ、でもいい友人はいっぱいできるから安心しろよな、他人のほうがやさしいし社会のほうが慈しみぶかいぞ、ということだな。

 通信制高校にはいろんなひとがいた。年齢層はそこまで広くなかったが、入学時上はせいぜい24歳だった。面接官の先生の話によるなら、戦争とかでせいぜい中学までしか勉強できなかった世代が入学してくることがままあったらしいが、そのときはいなかった。

 人間は、なんかいまでいうパリピっぽいのとか、陰キャっぽいのとか、なんでここに来たのかよくわからんのとか、まえに書いたエホバの証人の二世信者とか(当時はエホバの証人のこと詳しくは知らなかった、輸血拒否くらいしか)、場面性緘黙症のやつとかいろいろ。

 パリピみたいなウェイウェイじゃないけどそこそこ明るくそこそこオタクっぽくそこそこ事情を抱えていてどっかに傷のある奴らの集まりができていて、そこになじんで、いろいろした。いろいろ。大したことはしなかった。でも楽しかったなあ。青春みたいだった。青春か。

 グループに入りそうでそこそこ入りたそうなぼっちを嗅ぎつけて引き入れるのが好きだったので、ふたりくらい引き入れた。最初はあんまりしゃべらないで、愛想笑いとかしてたのが、ふつうに喋って笑うようになるとなんかうれしかったんだよな。これは親切とかそういうのじゃなくてなんだろ? 代替行為? というやつなんだと思う。自分が救われたかったんだ。自信をつけてやりたかったんじゃなくて、自信をつけてもらいたかったんだ。あいつをこんなふうによくしてやったぞ、みたいな。利用してしまった。

 

 エホバの証人の二世信者がそうとわかったのは、そいつが首からいつもなんかぶら下げて服のなかに隠してたのがふしぎだったので、それなに? と訊いたからだった。アクセサリーとかなにかのお守りという感じじゃなかった。首から見えてるのが紐……オシャレな皮ひもとかじゃなくて、なんというのか、小学生とかがつかう巾着袋につかうような、手芸店で売ってる太さ1cmくらいあるやつだった。小学生のとき、家にだれもいないときに首に下げておくように同じような紐を使っていたからわかる。

 で、そいつが見せてくれたのが「献血(輸血ですね、バカだな、修正しますよ@4/15)を拒否しますカード」だった。あんまり動じはしなかった……と思う。なんせ母親がそういう系にハマりこんでいたから。ただ、当時? だったか、それよりまえだったか、エホバの証人信者の親による子への輸血拒否がニュースになっていたから、めずらしいものでも見るように見た。手書きとかじゃなくて、きれいにプリントしてあった。内容はおぼえてないけど。

 そいつは「親がこういうの信じてて、わたしは気にしないんだけど」と言っていた。あーわかるわかる、だよなー、って感じでそのときは終わったけど先日書いたとおりこいつはある日突然神問答を仕掛けてきたのでそのまま疑いなく二世信者として生きていく人間だったのか、それとも抜け出したい人間だったのか、いまとなってはわからない。オウム真理教だのエホバの証人だの統一教会だの、二世信者問題について詳しく知ったのはずっとあとだったし、エホバの証人の大きな問題である子どもへの体罰についてもそうだった。いまどこでなにしてるだろう。そいつは携帯持ってなかったんで、もう連絡の取りようもない。

 

 中学時代は携帯がなかったのと登校拒否と不登校コンボだったので、なつかしい面々をまなうらに浮かべてもにどと会うことはなかろうと思うわけだが、通信高校時代の友人とはまだ微妙につながっていたりする。でも実家のある県にいるから、どうしても恐怖がさきにたってしまう……あと生活保護でうつで治療中ですとかいう重すぎる情報を明かしたくない(それは見栄もあるのでは)……とかいっているうちに、このはかない糸も切れてしまうのかな。しょうがないかな。

 ひとりぼっちで生きていけるようにするには、ひとりぼっちに慣れるしかない、ひとりぼっちのつらさはすぐに慣れて消えるけど、ひとりぼっち耐性は友だちに弱いんだ。会えてたのしくても、反動が半端ない。ひとはひとりぼっちで生きていけるようにはできていないんだなと思うよ。でもひとりぼっちで、傷つくことなく生きていきたいって願わずにはいられないんだよなあ。人間はだれかを傷つけずには生きていけないけど、こっちはもう傷つけられたら生きていけないんだよ~。信頼できる精神科医と、やさしい相談員、傷の扱いかたをわかってるひととじゃないと、コミュニケーションにリソースを奪われすぎてしまうんだよ~。

 

 また暗い結論に。すこし明るいむかしのはなしをしようと思ったのに、指がすべりにすべった。素手でキーボードいじるとべたべたして気持ち悪い(手が脂性なのだろうか……)ので、綿手袋をはめてタイピングしたらこれがまだ快適。タイポは多いけどな。

 とにかく、まだ人生に生きる価値がない。