うつでなまぽ

うつ病でPTSDでアスペで生活保護受給中の生きものがいろいろ書きます。

精神科受診「父母の生い立ちとかなんとか」

 ちょっとしばらく、毎日ブログ書こうと思ってたんだけど、挫折しましたね。まあそうなるだろうなとは思っていた。わかっていたんだ。日記とか続いたためしないし。

 そしてまた受診後の発熱が出た。理由はなんだろう? しゃべりすぎてはいるが、泣いたりはしていなくて、そこそこ冷静にしゃべれていると思うんだけども。謎い。こんど先生に訊いてみようと思います、忘れてなかったら。

 

 あ、あと、相談員さんは四月からも残留してくれるみたいで、なんか、変な気分です。ありがたいことなんだけど、自分がどう感じてるのか、よくわかんないから。どう感じてるのかよくわからないっていうの、頻繁にあって、たまにどうすればいいんだろうなと思う。

 

 で、きょうは最近の受診状況について書いておこうと思う。精神科受診……このカテゴリぜんぜん書いてないけど受診はずっとまじめにやっておりました。義務ですから。義務ですから。なにしろなまぽですので。

 年明けぐらいからかなあ、それまで受診しては薬をもらうというサイクルだったんだけど、ちょっと話すようになって、泣きまくったりした。自分の泣きかた、自分でも気持ち悪いなと思うほどしずかなので、幼少からの修練がきいてやがんなと思う。泣きながらふつうの声でしゃべれるから。一種の特技ね。

 そのときは自分のことを話していて、いま思えばあれがつらかったとかこれがいやだったとかそういう内容だったんだけど、そういうときふいに、涙が出る。哀しいとかつらいとか苦しいとかそういう気持ちはあるけど、泣くほどじゃないよなあと思いながら泣いてる。「こ、これは泣いてしまう……!」みたいな前ぶれなく、涙が出てしまう。

 

 最近は、父親とか、母親とかの生い立ちを話しているので、とくに泣くことがない。体験したわけじゃないから、物語みたいだ。どうも分析癖があって、父はこのときこうだったんだろうとか母はこのときああだったんだろうなとか思いながら話す。そのとき、両親は無関係なだれかになる。だから同情もできる。両親共働きで、妻に専業主婦を強いた父はきっと幼少時代のさびしさを埋めようとしているのだろうな、とか、母親が死んで父親が後妻を迎え、20ほども年の違う腹違いの妹ができたとき、母にとっての家族はいなくなってしまったんだろうな、とか。最高に冷静に考えられる。

 他人の話はすらすらしゃべれるので、先生も、調子がよくなったねと言っていた。じっさいどうなのかなあと思う。顔色もよくなったと言われたけど、それは気温が上がったからじゃないかなあと思う。でも言わない。先生は、精神科医として、ちょっとでもいいところを見つけているのかもしれないし、そうだとしたら、突っ込むだけ滑稽ではないか。とか、そういうこと考えてるからだめなのはわかっている……。

 

 でも血がつながった両親としてみたとき、ものすごく胃がキリキリする。父も母も、望むように愛されなかった子どもだ。憐れむべき子どもだ。望むように愛されなかった子どもどうしが結婚してできたのが、自分のいた家庭だ。

 いろんな秘密があった。まえにも書いたような、上にもあるような父母の生い立ちについての話は、ほとんどすべて母から聞かされた。秘密を抱えているのがつらかったんだろうか? だれかに話したかったんだろうか? 姉や妹が選ばれなかった理由はよくわかる。姉も妹もひとの話をきくタイプじゃないからだ。黙って聞く子どもを母は選んだ。重い秘密を詰めるゴミ箱に。

 ゴミ箱になりたくなかったし、知りたくないことがたくさんあった。でも母がかわいそうで、話をされると耳を傾けた。母は、姉を産んだときに、舅に「なんだ、女か」と吐き捨てられた話をする。母は、父と同じ学校だったころの同窓会に行き、そこで、父と結婚したことについて、よく耐えられるねと言われたと自慢のように言う。母は、父が、姉が生まれたころにも暴力的で、肋骨を折られたことがあると泣きながら言う。母は、おまえは理屈っぽくて、頭がよくて、顔も父に似ていると言う。父を嫌いだと言いながら、おまえは父に似ているねという。ずっと祖母だと思っていたひとを、叔母だと思っていたひとを、血なんかほとんどつながってない、私には家族がいない、それがいやで自分の家庭がほしかったんだと泣く。母の慰めのために生まれて、父に殴られて生きている子どもにそう吐き出す。母の救いになりたかった。母が好きだった。父が好きだった。母が秘密を吐き出すほど、母を苦しめる父が嫌いになった。親戚が嫌いになった。姉も妹も嫌いになった。どんどん嫌いなものが増えて、結局いんちきの宗教に逃げ込んだ母も嫌いになった。

 身内に好きなひとは残らず、好きなのはみんな他人になった。まあ、姉と妹とはその後ゆるやかな和解をするのだけども。

 

 もしかしたら姉も妹も承知していることかもしれない。秘密は秘密でなく、被害妄想なのかもしれない。でも訊くことはできない。訊くこと自体が秘密の暴露だからだ。妹に、「おまえ、母さんが三人めをほしくなかったのに、父さんに無理やりされたってこと、知ってた?」と訊いたら秘密は秘密じゃなくなる。重荷を投げやるだけだ。きかされた秘密は重かった。いまでも重くて苦しい。だからなにも悪くない姉にも妹にも知らないなら知らないままでいてもらいたい。

 いま住んでいるところの住所を、家族のだれにも知らせてないんだけど、妹だけにはいつか教えようと思っていた。でも結局勝手にやめた。妹はまだ教えてくれるのを待ってるかもしれない。でもだれかに秘密を負わせることが、あまりに重く感じるのだ。こんど会ったとき、言わなければなあと思い続けている……いや、妹と会う=姪っ子甥っ子と会う、なので、そっちに気が行き過ぎて、忘れてしまうんだよな……。こんどこそ言う。

 

 で、時間がだいぶ前後するけど、大学を卒業してから、就職するまでの一年弱を実家で過ごした。うちの家風は「なにごともおこらなかった」だ。まんなかの子どもが理不尽に殴られようと、追い出されようと、未成年の末っ子がキャバクラに勤めようと、なにもかもおこらなかったことにして、平穏を保つ。

 だからこのときも、平穏を保つために、父とも無理に会話し、生まれたばかりの姪っ子を愛でて離乳食などの世話をし、このことで妹となんとなく和解して、姉ともなんとなく和解して、父とは決定的に破局した。完全に無理だ。それを悟った。父は、実子三人の人生をずたずたに破壊したことを理解していない。ちょっとやりすぎたこともあったけど、終わったことをぐずぐず言うな(父の口癖)、そう思っている。殴られていた子どもがどう育ったか、血のつながった子どもが親に殴られるのを見せられた姉と妹がどう育ったか、その原因が自分にあるなどと、父はかけらも思っていない。途中から父とはいっさい言葉を交わさなくなり、それからもう十年近くなる。奴の声がまだ聞こえるが、あっちはたぶん、こちらの声など忘れたことだろう。

 

 母は、自分が虐待に加担していたことに気づいていない。子どもを秘密のゴミ箱にすることがどれだけ残酷か知らない。だから、虐待者は父だけだと思っている。被害者に添う支援者、たぶんそう思っている。そして、終わったことにずっとこだわっていてもしかたがないんだよと説く。なにも終わっていない。殴らなくなればそれで終わりか、怒鳴らなくなればそれで終わりか、昔は、母が父に、終わったことをぐずぐず言うなと言われて、私にとっては終わっていないと泣いて、それを慰めたことがあったのに。

 でも、母を許そうと思った。母は愚かだ。その愚かさを許してやろうと思った。こっちが昔の話を持ち出さなければ、ふつうに付き合っていける、そう思った。過去形。もちろんだめだった。母に対して異常に怒りの沸点が低いことに気づいた。許してなんかいないんだ。気づいたとき、ああ、もうだめなんだな、と思った。母が変わらないかぎり、許すことができない。そして母が変わることはこのさき一生ないんだろう。

 母はいまでも和解して家族として暮らそうと思っている……と思う。最後に会ったのが生活保護申請の直前だったから、それ以後は知らないけれど、すくなくともそのときはそれができると思っているようだった。昔いっしょに住んでいたんだから、がその理屈だ。へどが出ます。そのあと、生活保護を申請したって絶対に無理、絶対に取れない、遠くの親戚の財務状況まで調べられるんだよ、とかなんとか言っていた。んなわけあるかよ。生活保護の受理にどんだけ時間と金かけるんだよ。ほんとにあなたは世間体バンザイですね。父は公務員だが、記憶にあるかぎり生活保護関係の部署についたことはない。話も聞いたことがない。母の言っていることはたぶん単なるイメージだ。税務課にいたことがあったのでそのときの記憶とごっちゃになってんじゃねえのか。というか時代がちがうんじゃねえのか。

 このブログを見ればわかると思うけど、普通に申請して普通に生活保護を支給していただいております。

 

 父母は昔に戻りたがっている。古き良き昔。子どもが、大した理由なしに殴られ、蹴られ、あばらにヒビを入れられ、たんすに頭を叩きつけられ、冬の野外に放り出され、それを耐えて家風「なにごともおこらなかった」をしていた昔に戻れると思っている。スゲーとしか言いようがない。どういう脳みそを持っていたら、子どもがそれを望むという考えをはじき出せるのかわからない。

 しかし、自分の体験と、父母の生い立ちを重ねてしまうと、なんだか苦しくなる。父母は、父母になるだけの能力も技量も精神性もなかった。それはけっして父母の責任ではない。すくなくとも、全責任は、父母にはない。そして自分もけっこう問題行動をする子どもだった。それを思えばどうしようもなかったのかもしれない。

 でも、じゃあ、この苦しい気持ちはどうすればいいのだろう。父母を許せない気持ちは罪悪だろうか。父母を憎むのはまちがいだろうか。死んでほしいといまでも思う。生まれてきてほしくなかったとも思う。まちがいだろうか。

 

 どちらにせよ、苦しいことに変わりはないから、できるならもう消えたほうがいいのかもしれない。秘密のゴミ箱は秘密を抱えたまま消える。

 ほんとうは姪っ子や甥っ子の記憶に残らないくらい、彼女らがちいさいうちに、そうしたかった。あの子たちをすこしでも傷つけると思うと哀しくなる。うまいことできないかな。生まれてこなければよかったのか。

 

 やたらながながと書いてしまった。タイピングの仕方がおかしいので、右の人差し指がちょっと痛い。