うつでなまぽ

うつ病でPTSDでアスペで生活保護受給中の生きものがいろいろ書きます。

読書「小学校の図書室」

 小学生のとき、本を読むのが好きだった。友だちが「外で遊ばない?」というのを断ってまで本を読んでいた。本を読むのが好きだったからだ。幼稚園にある本は絵本ばかりだし、家は市立図書館からも県立図書館からも遠い。小学校の図書室はまさにパラダイスだった。学校のなかにある。何でも借りられる。最高。

 外遊びの少なさを担任の先生が心配して、「外で遊ぶのはどうか」と言われたことがあったが、「なるほどね、完全に理解した」と外に出て木に登って本を読むという、たぶん担任の先生が「そういうことじゃねーんだよ」と思うようなことをしでかしたりしていた。ちなみに3歳くらいのころには、ふすまにクレヨンで落書きし、母親に「ふすまにクレヨンで落書きするなんてダメでしょう」と怒られた翌日、おなじふすまにペンで落書きをして母親の怒る気力をそいだという逸話もある。

 

 小学校の図書室に、たいてい司書の先生はいなかった。自分の図書カードに本の名前と借りた日付、返す日付を書き、返したら済のハンコを押す。本の最後にも借りた人シートが貼ってあって、そこに名前と借りた日付、返す日付を書き、返すときに済のハンコを押す。そういう自主性にあふれたやり方だった。図書委員もなにかしてたような気がする……が……微妙で覚えていない。

 たいていみんな、一年で図書カード一枚ぶんの読書もしない。そう、みんなはね。六枚、七枚と伸びる図書カードをセロハンテープで留めているやつはめずらしい。そのめずらしいやつが、このブログ主ってやつさ。五、六年生のころには同じクラスにおなじくらい読書が好きな子がいて、競って本を読んでいた記憶がある。ちなみにそいつは自分と同じように小学五、六年を保健室登校で過ごし、おなじように全日制高校で挫折して通信制に入った。そしていまは東京でなんか音楽とか絵とか描いてクリエイターをやっているらしいときく。

 

 このときふつうの子に人気があるのはブラックジャックはだしのゲンなど。はだしのゲンを子どもが好むか? という話だが、漫画だからだ。子どもは漫画が好きなんだ。たしか高学年の教室には、クラスごとに1セットずつ置いてあったような気がする。あと、漫画でなくて人気があるのは王さまシリーズとか、怖い話系。

 ふつうの子とか言ってる時点で「まあ自分はそんなの読んでませんけど?」みたいな感じあるけど、ブラックジャックは読んでた。怖い話系も読んでた。はだしのゲンも読んだな(テスト時間内にテスト終わらせたら学級文庫の本を読んでいいルールだったので、死ぬほど読んだ)。王さまシリーズは上記の読書好きの友だちじゃない友だちが好きで読んでて、興味が持てなかったので読まなかったな。

 

 好きだったのは、ルドルフとイッパイアッテナシリーズ。なんとまだ続いている。こないだ新刊がでたらしい。ぜひ読みたい。NHKでやってたアニメも好きで、なるべく見れるように頑張っていた。岐阜からうっかり長距離トラックに乗ってしまった飼い猫で黒ねこのルドルフが、捨てねこのイッパイアッテナとともに東京で生き抜く話。ねこの視点で書かれた世界がおもしろい。イッパイアッテナって変な名前だな! と思うかもしれないけど、この由来もおもしろいし、ルドルフがこの名前を名乗るシーン……ここが最終回でいい……というレベル。

 映画化したけど作画が嫌で見ていない。ちがう、ああじゃないはずだ。もしかしたら脚本はバリバリよくて観ないことで損しているかもしれない、でもなんか嫌なのだ。

 

 あと、冒険者たち~ガンバと15匹の仲間~とガンバとカワウソの冒険グリックの冒険! これは最高におもしろい。そもそもは飼いシマリスの物語・グリックの冒険が作者のはじめて書いた小説? で、その話にちょこっとだけ出てきたドブネズミのガンバたちのキャラクターがあまりに強くて、つづく冒険者たち、ガンバとカワウソの冒険が書かれたという。

 グリックの冒険は、飼いシマリスのグリックが、姉にうながされるかたちで故郷の北の地をめざす……という話。そのなかでガンバに助けられて、恩返しにドブネズミとクマネズミの抗争に手を貸したり、まちがえて動物園のリス展示場に迷い込んで、もうここでいいか……と妥協しかけたり、それをのんのんという故郷に焦がれたために仲間から足を噛まれ上手く歩けなくなった雌のシマリスに叱咤されてまた故郷を目指す……ヘタな解説だ。読んでくれたほうがいい。おもしろい話だから。

 冒険者たちのほうは、アニメで見たことがあるひともいるかもしれない。でも原作……原作とアニメはだいぶちがう! やっぱり! バスとテノールの歌ウマコンビとか、イダテンとかいう脚力自慢とか、シジンという芝居がかった口調のやつだとか、いろんな特色あるドブネズミが力をあわせて、忠太というドブネズミの故郷を牛耳ろうとしている白イタチのノロイを倒そうとする話なんだ。ノロイはアニメではバケモノのように描かれるけれども、原作ではほかのイタチよりも小柄で、うつくしい毛並み、甘い声をしたイタチだ。恐怖の対象であるが、うつくしく、しかしペテン師策士であり、ガンバたちや忠太たち、ドブネズミを皆殺しにしようと画策する。バケモノではないが、恐ろしい敵なのだ。その敵が最終的に、負けを認めて死んでいく。ガンバはもとは人間の家に借りぐらしする町のネズミだったが、これをきっかけにして船乗りネズミとなって世界を駆ける。その途中で、グリックと出会ったりもするわけだ。

 

 ガンバとカワウソの冒険は……船乗りネズミになったガンバは、あるとき仲間のシジンがさがしている女性がいることを知り、せっかくだからみんなで探そう! みたいな感じになる。このへんあいまいだ。シジンがその女性について語り、その女性が帰ってくると言ったにもかかわらず戻らないことを案じながら、ガンバたちはその女性が行った場所へと向かう。そして、その女性……ナギサがシジンのもとへ帰れない理由を知る。彼女は、もう絶滅寸前と言われているニホンカワウソのカワモと父親の世話をしてやっていて、そのためにシジンのもとに帰れなかったのだとわかる……。

 ここから物語が動き出すが、グリックの冒険冒険者たちでは単なる背景でしかなかった人間という存在が、濃厚に感じられるのがこのガンバとカワウソの冒険の特徴だ。また、絶望的な無力感や、種の最後となってしまった生き物の孤独。中盤から終盤にかけてはカワモの発狂ともとれる言動もあり、非常に重い展開が繰り広げられる。

 このあと、カワモの父親は犬に殺され、カワモとナギサ、両親を犬に殺されたらしきカモクという子どもを仲間に連れて、一行はカワウソたちに伝わる歌にかくされた場所、豊かな流れへと進む。そんな場所がほんとうにあるのかすらわからないまま。

 ガンバ一行のカワウソ二匹を狙って執拗に追ってくる犬たちは、というか野犬たちは、もとは人間がカワウソの毛皮をとるために使っていたものが野生化してカワウソを襲っている。野犬らに対し、ガンバの仲間でいちばん頭のいいネズミのガクシャはいう、おまえらのしていることはしょせん自らの意志ですらなく、人間たちに刷り込まれた行動にすぎない、人間に馴らされたものの末路だと。

 時系列がめちゃくちゃかもしれないが、カワモは疲労とほんとうに楽園があるのか、仲間がいるのかという疑念、そもそもネズミたちが来なければ、野犬たちが来ることもなく、父が死ぬこともなく、おだやかにあの住処で暮らしていけたのではないかという思いにとらわれ始める。そしてカワモは死んだ父と会話を始め、川に入り、流れていく。カモクもそれについていく。

 ネズミたちは悲嘆にくれ、とくにネズミたちがここに来る原因ともなったシジンは許してくれと泣き叫ぶ、イカサマというネズミは己の行動指針にしていたふたつのサイコロを叩きつけて割ってしまう。ここの悲愴感が半端じゃないのだ。乱文すぎるのでもうやめるが、とにかく最高。読んでほしい。それしか言えない。冒険者たちは自ら望んで冒険をするドブネズミたちの力強い物語だが、ガンバとカワウソの冒険は、カワウソという冒険に出ざるを得なかった生き物の、悲しみに満ちた、でもひと粒の希望を見せてくれる物語なのだ。

 そして、あくまで人間が悪であるとだけ描かれるのではなく、カワウソのための魚溜め? みたいなものを用意してくれる人間もいるというふうに語られている。

 最後の最後にカモクが、エンコウというふしぎな生き物から聞いた言葉を書いときたい。

 「かな、しみ、を、しれ。きぼ、うを、すて、るな。」

 しかしながら、ニホンカワウソは本作品発表の約30年後の2012年に、絶滅種と指定されてしまった。非常に残念。

 

 というかこの話でこんなに書くと思わなかった。乱文長文。小学校の図書室で読んだ本についてはまだほかにもあるので、また乱文長文をつらねるとしよう、明日か、こんど。