うつでなまぽ

うつ病でPTSDでアスペで生活保護受給中の生きものがいろいろ書きます。

むかしのはなし「だいぶ自分が支離滅裂だった」

 父母が好きだったことはまえに書いたと思う。姉と妹も好きだったんだけど。

 

 でも、中学生くらいから、なんというか……自分の考えること、やることなすこと、これが支離滅裂になってきた。

 

 小学校高学年からよゆうで保健室登校不登校だったし、登校拒否だったけど、学校は好きだった。自宅が嫌いだった。それなら学校行きゃええやろと思うかもしれませんけれども、ギャップがきつかった。

 小学校はたのしい! 友だちはやさしい! だから嘘をつく。家で父親に殴られてなんていないよ。死にたがりの母親の世話なんかしてないよ。ふつうの家のふつうの子どもだよ。

 帰ったら両親の機嫌をうかがう。きょうは機嫌だいじょうぶかな。怒り出すようなら仲裁に入らないとな。泣き出したら慰めないとな。矛先がこちらに向かうなら、それはきっと生意気なことを言ったからだから、自分の失敗だな。

 ほとんど二重生活といってよかった。それぞれの場面でそれぞれにふさわしい役割を演じる。疲れたらどうなる? 学校を選ぶ? できるわけない。学校にはずっといられない。ギャップをなくすためには、地獄みたいな家にずっといるしかない。中学生のとき、父親は学校に行けと言って罵り、怒鳴った。泣きながら途中まで登校して、帰宅する。それを繰り返す。たぶん最後に、父親が顔面を殴って学校へ行けという。行かなければ殺すという。仕方がないので行く。顔は腫れあがっている。友だちが集まってきて、みんなが心配してくれる。つける嘘がない。笑顔が作れない。これが決定打で、結局卒業式まで中学校にはいかなかった。父親も、やりすぎたという自覚があとでわいたのか、もうなにも言ってこなかった。あきらめたのかもしれない。卒業式は出た。みんなふつうに受け入れてくれた。

 高校はそこそこの進学校に合格。合格発表の日、泣きながら帰っている女子生徒を見た母親に言われる。「あの子を落としてあんたは受かったんだからね」。ハッパをかけたかったのだろうが、それで「がんばるぞ~」ってなる性格じゃないこと、15年一緒に暮らしてもわからんもんなんだな。結局高校にもほとんど行かずじまい。通信制に転校して、なんとか高卒資格をゲット。

 どう生きていけばいいかわからず浪人。とにかくなんとかしろと秋ごろに言われ、無理やり勉強して大学に進学。就職浪人。三年勤め。退職。求職者。被生活保護者といういま。

 

 で、小学生~中学生くらいにかけて、微妙に非行に走っていた。夜間徘徊、親の金を盗む。

 夜間徘徊は小学生のころから親の機嫌によって追い出されるたび、やっていた。小学生のときに、親の知り合いが経営するコンビニに真夜中に居座って、おうち帰らなくていいの? と声をかけられたことがある。そのことが母親に知れ、「そのコンビニには行かないで、恥ずかしいでしょう」といわれるという笑い話もある。

 そのうち、自分で窓から玄関から勝手に抜け出すようになった。自転車であちこち走り回った。夜は味方だった。どんなに走っても疲れない。繁華街に立ち寄るでもない、徒党を組んで悪さをするでもないから、補導されたことはいちどもない。両親に心配をかけるとわかっていた。心配をかけたかった。心配なんかかけたくないのに、大好きで好かれたいのに、心配したり怒ったりしている両親をみるたびざまあみろと思った。

 親の金を盗むのは、家の経済状況が不安になったときから。矛盾してるな。母親が宗教に、それも新興宗教に傾倒して変なサプリなんかを買ったりしはじめてから。いちどに盗む金は微々たるものだったが、なんというか、これで破滅してしまえという気持ちがあった。半面、家が貧乏になって、みんなが食べていけなくなったらどうしよう、なんてことも考えていた。露見して怒られると、両親が一致団結して責めてくる。やったね。ふたりを仲良くさせたんだ。

 支離滅裂。

 

 深夜徘徊についてはやがて両親は興味を失った。何時ごろ帰ってくるか両親は賭けてたらしい。楽しそうだ。

 

 親の金を盗むほうはそれが理由で心療内科に連れていかれてやめた。そのまえになんかどっかの施設に入れるぞと脅されて、じっさいに連れていかれたんだけど、父親がずっと「こいつはクソなんです、救いようがないんです、いま泣いてるでしょう、これもウソ泣きなんですよ、泣けば許されると思ってるんです」と施設長らしき男性に繰り返していた。男性はこちらを見ながら、父親の話を聞いていた。

 心療内科のほうは、母親が「この子は親の金を盗むんです!!!」ってものすごい訴えるのを、精神科医? の女性が「はーそうなんですか」と流して、こちらに「何に使ったの?」と聞いて、それになんて答えたかは忘れたが、精神科医が笑ったのは憶えている。

 結局、仮面うつ病と診断されたが、説明を聞いていなかったのか聞かされなかったのか理解できなかったのか、「うつ病という仮面をかぶっている状態=うつ病だと嘘をついている」と診断されたのだと思って、病識がまったく芽生えず、なので当然治そうなどと言う気も起きず、そのうち「自分が両親に金を使わせている」というのが嫌になって通院をやめた。

 

 このころはだいぶ頭がおかしかったと思う。両親に離婚してほしかったし両親の離婚が怖かった。両親が大好きだったし両親を殺すために親族を皆殺しにしなければならないと考えていた。死んでしまいたかったし、生きているのこわかったし、死ぬのもこわくて、そのたび夜間徘徊をした。

 真っ暗な夜のなかで、自転車をこいでいると、なんだか非現実にちかくなる。つらい現実はぜんぶ嘘だと思える。それこそが嘘だと朝になって気づく。その繰り返し。夜間徘徊はずっと続いた。いまもたまにやる。昔のことを思い出す。夜中のコンビニでバンプオブチキン天体観測が流れていたこととか。

 姉がリストカットをよくしていて、その気持ち悪さにドン引いていたものだが、たぶん夜間徘徊はリストカットと似たようなものだったんだろう。精神安定剤

 

 よく、昔に戻りたいというひとがいる。小学生のころとか中学生のころとか。しあわせだったんだろうな。うらやましい。断固戻りたくない。あのころの自分が、いまよりこどもで、選択肢もすくなくて、知っていることもなくて、身を守るすべも味方もいなかったのに、どうやって生き延びられたのかわからない。

 生きていたい、生きるのがこわい、死んでしまいたい、死ぬのがこわい、両親に好かれたい、両親を殺してしまいたい、両親に仲良くしてほしい、両親に離婚してほしい、自由になりたい、逃げだしたい、この家を出て生きていけるはずがない、いろんな支離滅裂な思いで引き裂かれながら、どうやって生きていられたんだろう。いまより強かったからかな。それとも、重傷を負っていても、それに気づかないうちは意外に生きていられるとか、そういうやつだったのかな。

 昔の自分は、いまの自分のなかの、どこでどうしているんだろう。いまだに見つからない。