うつでなまぽ

うつ病でPTSDでアスペで生活保護受給中の生きものがいろいろ書きます。

うつ「将来のゆめ」

 将来のゆめはなにかときかれたとき、そのときどきでいろいろな職業をあげたものだけど、いちばんなりたいと思ったのはたぶん鉱物学者とか、天文学者、地質学者だった。そういうことばをじっさい理解していたわけじゃなくて、石と鉱物が好きで、星が好きで、化石が好きで、砂と泥遊びが好きで、そういう単純な気持ちからだった。ほんとうに真剣な、未来を決めるような夢だったのか、幼い子どもの、一過的な熱病のようなゆめだったのか、もうたしかめようがない。めざすまえに、両親は否定に否定されて、あきらめたからだ。

 好きなものだけでは、好きなだけでは生きていけない、稼いでいけない、食べていけない、そういうものは、好きなだけでいればいい。いまだけのゆめだよ、きっとほかにやりたいことができるから、仕事になることがあるから、そのとき、それらは趣味にすればいいんだよ、と、そんなことを両親は言った。

 そうだなーと思って、結局あきらめて、長年の紆余曲折あったすえ、ほんのわずかに興味がある、ついでに四大卒にもなれるという医療系の国家資格をとって、3年つとめて、結局潰れた。自分にまったく向いてなかった。もちろん同じ資格で別系統の職場をさがすこともできたけど、たぶんそのときにはもううつ病がだいぶ重くなっていて、いまさら別系統の仕事に挑戦することが怖かった。

 そんでいろいろあり、生活保護を受けつつ、うつの治療をしている。治る気は、まだまったくしない。

 

 上の話を読むと、なんだか両親が悪いような感じだけれど、両親も両親で、父はとても頭がよくて、なりたい職業があって、東京の大学に行くことを望んだけれど、父の両親は父を手もとに残したがって、父もなにを思ってか知らないがそれに従って地元の大学に進学したので、結局望んだものになれなかった。ちなみに、父より優秀でなかったという父の弟は、東京の大学卒だ。

 母は母親を亡くし弟がいなくなったあとの、父親と、彼と再婚した義母とそのあいだに生まれた義妹という家庭になじめずに、たぶんとくに志望したわけでもなく県外の短大へ進学した。専攻は英語だったというけれど、彼女が話す英語を聞いたことはない。やがて自分の家族が、家庭がほしいと切望した彼女は父と結婚して、三子を得たわけだが、たぶん彼女がのぞんだものとはまったくちがうものだったろう。彼女は宗教まがいのあつまりに傾倒するようになって、おそらく今日も、よくわからない効力を持つ謎の石を混ぜた風呂に入り、同様のシャンプーやボディソープで髪と体を洗って、化粧水とクリームをつけている。そして、暖房のない寒い部屋でひとり、なにかに向けて祈っているんだろう。

 

 ついでの話、母の父は、警察官になりたかったのだけど、内定が決まったあともしていた印刷所のバイトかなにかで、薬指を切り落としてしまい、警察官にはなれなくなった。その後教師になったという母の父は、ずいぶんな酒のみだったそうだ……と書くと失意から酒に走ったように読めるが、そこのところはよく知らない。

 母の父は、姉が生まれたあたりではまだ元気だったが、自分が生まれたころ、「いつか、この子を自転車の後ろに乗せて遊んでやろう」と言っていたが、そうなるまえに酩酊からの脳出血で倒れてそれ以後意識はあるものの全身不随になり、にどとまともな言葉を発することもなかった。子どものころ、ずっと母の義母の家に行くと、病院にあるようなベッドに寝ていてる母の父にあいさつをさせられた。自主的にすることもあったが、どうせ促されることを予期してめんどうをなくすための自主的でしかなかった。このよくわからないものは、なんなんだろう、と思っていた。ことばが理解できているとも思えなかった。けれどこんにちはとかまたねとか声をかけた。返事をするように、もしくはただ反応するように、男の声で、あー、うー、とうなる母の父は人間に見えなかった。そのうち亡くなって、あいさつする相手は仏壇に代わった。そのころ、前述の、指の話や、「いつかこの子を」という話を聞かされて、ようやく罪悪感のようなものがわいた。

 

 ながながとなにが言いたいかと言えば、よくもまあ、こう、自分ののぞみをかなえられないやつらばかりが集まったものだなあ、ということだ。母の父はおまけであるけれど、父と母はほんとうにそうだ。自分もそうだ。でもだれのせいでもない。結局は最後は自分で選んだんだ。外からの圧力や影響があったかもしれない。でも、あきらめたのも自分で、べつの道を選んだのも自分だ。父と母が言ったことも、彼らからすればそれがただしかったから言ったのであって、彼らがそういう選択をして生きてきたから言ったのであって、ほんとうにほんとうにのぞむのなら、自分で貫き通せばよかった。

 自分の選択の果てにここにいるというわけだ。

 

 でもこれは明るい話じゃない。残念ながら。だってカテゴリうつにしたし。

 自分ののぞむものを自分であきらめて、子どものゆめだと自分でもばかにして、恥ずかしくて逃げて、生きるために生きる選択をしてきた。そうしていま、生きるだけの価値が見いだせないことに気づいてしまった。なにをするでもない。なにかしたいでもない。いまさらなにができるでもない。なによりいま、なにができるとも思わない。うつだし。

 自分の選択は生きるに値するところまでたどりつけなかった。なにしろ、ひとりぼっちで生きていくことがいつの間にか自分ののぞみで、選択の基準になっていたから。いまは、死ぬことができないから生きている。たまに橋から落ちたくなる。たまに車が突っ込んできてくれないかなと思う。頻繁に、世界が終って、みんないっしょに死んでくれないかなと考えている。他人のお金で生きて、他人のお金で治療しながら、そういうことを考えている。さっさと働ける体になりたいのに、できないことが増えていく。ひとにやさしくされるたび、親切にされるたび、赤ん坊や幼児と目が合って、ちょっと手を振って振り返されたりなんかするたび、なんでなんだか申しわけなくて情けなくて消えたくなる。

 

 将来の夢はひとりで生きていくことだったのに、あがなうことのできないしゅくふくのごうかのなかでいかされている……(@千年万年りんごの子)

 死は生よりも尊いという夏目漱石は、それでも「じゃ生きてらっしゃい」という……(@硝子戸の中

 だれもねむっているあいだにくびをしめてくれないせかいでいきている。

 なんだかわからないけど、きょうはおわり。