うつでなまぽ

うつ病でPTSDでアスペで生活保護受給中の生きものがいろいろ書きます。

むかしのはなし「だいすきだったはなし」

 子どものころ、父と母が大好きだった。父のように頭がいいとか父に似ていると言われると誇らしかった。母の手助けをしてお礼を言われるのがうれしかった。大好きだったので、父と母に好かれたかった。

 

 でもそうはならなかった。

 父は、自分の間違いを指摘されることが嫌いだったから、賢しらぶって生意気で、性格が大嫌いな己の母に似ている子どもをきらった。父が愛したのは長子だった。同じことを言っても同じことをしても、対応が違った。父はそんなことはない、平等にしているという。ただのやっかみだという。でも長子もふくめてだれもがちがうことを了解していた。

 母は、だれかに尽くす自分を憐れむことが好きだったから、父や家族、実家、いろいろなものの愚痴を言い、ききたくないような秘密を背負わせてきた。母が愛したのは末っ子だった。当時は我儘で奔放で、上のふたりとはまったくちがう性格だった末っ子を自分を削ってまでひたすら甘やかし、そのことを愚痴った。また、母は父以上に情緒不安定で、精神を病んでいて、同じ手伝いをしても日によって反応が違った。「ありがとう」というときもあれば、「わたしが役立たずだと思ってるんだろう」とののしってきたり、「あんただけがわたしを支えてくれるね」というときもあれば、「どうしてやったの。わたしがやれたのに」と泣くこともあった。

 

 父と母が大好きだったので、父と母に好かれたかった。たまに父や母が喜んでくれると、ほんとうにうれしかった。

 でも父と母は仲が悪かった。子ども心に、「このひとたちは、いったいどうして結婚したのだろう?」と思っていた。それほど相性が悪かった。理論派ぶるくせ自分本位の屁理屈しか言わない、ひとを不快にすることでしか関心を買えない父、感情をぶつけて理解をせまり、自分を粗末に扱うことでひとの関心を買おうとする母。父は、母に対して自分に都合のいい理屈を無理やり押し付け、追いつめておきながら、反論すると「大きな声を出すな」「ヒステリーだ」「終わったことでグダグダといつまでも言うな」と封殺した。母は、感情的に父に迫り、時には泣いて、我慢していたことを一気にぶちまけるように、彼女にとってはまだ解決していない過去のことを持ち出して現在の問題も過去の問題もまぜこぜにした。

 さて、どちらの味方に付けばいいのだろう?

 こちらからすると、父の言い分はあまりに残酷すぎるし自分に都合の良いことばかりを並べている。母の言い分は感情的すぎて相手に伝わらないし過去のことはとりあえず置いておいて現在の問題を語るべきだ。

 そういうふうに仲裁に入ったこともある。

 でも繰り返し、繰り返し、おなじことをやっていると疲弊する。父の気持ちもわかる。母の気持ちもわかる。ふたりに仲良くしてほしい。そう思いながらも、じっさい父母が夫婦らしくしているのを見ると、イラつくことがあった。そんなふうにできるんだったら、喧嘩なんかしないでくれ、仲裁なんかさせないでくれ、そんなに簡単にできることなら、なんでいつもそうできないのか。

 

 上記は小学生くらいのころの話だ。中学生くらいになったら、母が好きな自分は父が嫌いで、父が好きな自分は母を嫌いだとようやく気付く。父と母のことが、吐き気がするほど嫌いだと気づいたのは大学生のとき、あるきっかけがあってから。

 いまでは、父母に会ったとき、とびかかって殺してしまうのではないか、と感じるほど、彼らが怖い。嫌いを通り越してしまった。もう、人間だと思えない。銃だとかナイフのような、こちらを傷つけてくるなにかのように感じる。

 できればもう一生、会いたくないと思うのだけれども、きちんと絶縁をしないと、この恐ろしい父母は人生に居座りそうで、でも、会うことができるとはとうてい思えない。自信がない。ダメだ。

 

 大好きだったことは思い出せるのに、大好きだった感覚はぜんぜん思い出せない。

 ふしぎだ、あんなに必死に、大好きだったのに。