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うつでなまぽ

うつでなまぽな生活です。

うつ「心臓を飼いならす」

 ウィンストン・チャーチルは、うつの発作について「黒い犬」と表現し、J・K・ローリングはみずからのうつ体験をもとに幸福を吸い取り絶望に変える「ディメンター」という怪物を作中に登場させたわけだけれども、それは自分のうつと距離を取るという意味で非常に効果的なこころみであったのではないか…などと思う。

 なんというか、うつのときの、不安、あせり、どうしようもない孤独感などを、自分と一体化させて考えていると、どうしても逃れようがない。やり過ごすといっても自分自身なのに、どうやって? という感じになってしまうだろう。

 だから、前述したふたりはふいに襲い来るものとして、飼いならしたり、撃退できるものとして自分のうつを擬人化…擬獣化? させたのだと思う。画期的だ。まねしたい。

 

 しかし、自分がどのようにうつを受け止めているかと考えたとき、ぱっと浮かんだのが「心臓」だった。心臓、からだのまんなかに不安やあせりのかたまりがあって、拍動ごとにせっせと全身へそれらをいきわたらせている。たまに、心臓を胸から取り出して断ち割れば、黒いどろどろがあふれだして、すっきりできるのではないか、などと考えたりする。これは希死念慮に入るのだろうか。

 心臓は、黒い犬やディメンターとちがって飼いならすことも撃退することもできないが、たぶん、この心臓をどうなだめ、どう付き合っていくかが己の人生の課題なのだろう。