読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

うつでなまぽ

うつでなまぽな生活です。

うつ「経験を共有すべきかについて」

 主治医の先生から、自助グループに参加してみてはどうかというようなことを言われた。生きづらさを感じているひとびとがたがいに経験を話したりなんかいろいろして、なんとか生きづらさを解消しよう。というような感じの。

 

 知れば知るほど、自分に必要なことかもしれないと思う。いままで、子ども時代のいろいろなこと、つらかったことや苦しかったこと、自業自得でもあるけどしんどかったことを、だれにも話してこなかった。理由はいろいろある、とにかく、だれにも、話そうと思わなかった。

 話してどうにかなるわけじゃないし、話すことでなんというか、なんらかの配慮、行動なんかを求められていると思われるのがいやだった。「それで、それを話して、あなたはどうしてほしいの? どうなりたいの? どうしたいの?」と訊かれても、絶対答えられないし、そんなことなら、話さないほうがいいよな、と思っていた。どうしてほしいか、どうなりたいか、どうしたいか、どれもぜんぜんわからなかったこともある。

 

 あともうひとつ、だまって、だれにも知らせずに、自分だけのものにしておけば、自分の気持ちひとつで、なかったことにできるんじゃないかとたぶん考えていた。

 大学に進学するとき、地元で実家から通える大学にも合格したのに、無理やり他県の大学へ進学した。だれもなにも知らないところ、過去や家族を知らないところでなら、ぜんぜんちがう人間として生きていけるんじゃないかと思った。同じことを考えてるひとはけっこういると思う。別天地へ行って、だれも自分を知らないところでなら、っていうふうに。

 でもだめだった。友達や知り合ったひとに、必要なときにはいっしょうけんめい破綻しないようにうそをついた。ふつうじゃない家に育ったことを隠したかった。なかったことにしたかった。そうやってふつうの大学生になろうとしたけど、過去のことも家族のことも、友達が知らなくても、だれも知らなくても、自分が、いやになるほど知っていた。ので、失敗した。ぜんぜんちがう人間なんてなれっこなかった。

 

 それでも、いまでも、まだなんとかなるんじゃないか、過去を忘れて逃げ切って、気分良く、べつの人間として生きていけるんじゃないかと思っている。だから自助グループに行くことが必要だと思っていても、どうしても行けそうにない。他人に話して、共有してしまったら、過去が「じっさいにあったこと」になってしまう。いやおかしいよな。じっさいに「じっさいにあったこと」なのに。これは理屈じゃないんだ。

 

 こうして文章にしてしまうと、支離滅裂で、どうしようもない人間だということが浮き彫りになる。どうしようもない。どうしていいかわからないんじゃなくて、どうしていいかわかっているのにどうにもしない、したくないっていうんだから救いようがない。