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うつでなまぽ

うつでなまぽな生活です。

精神科受診「さんかいめ」

 ずいぶん間があいてしまったが、受診はもっとまえにすませていた。

 雨が降っていたので、通院がたいへんだった。ふだんは原付で行っていたのだ。まだ二回しか行っていないものを、ふだんというのはちょっと妙な感じがするけれども、そうなのだった。

 家から歩いて、足もとをびちゃびちゃにしながら行った。さむかった。

 

 で、さんかいめ。やっぱりとくになにもなし。薬もそのまま。

 この治療に対する反応のにぶさは、先生にもちょっと予想外っぽい。なんだか申し訳ない気もするが、かといって調子がいいですよとうそをついてもはじまらない。

 時間がかかるかもしれないし、ほかのひとのように、スパッと治りはしないかもしれない、というふうに説明をされた。

 みじかい時間でスパッと治るというイメージをそもそも抱けていなかったので、そうなのかあ……と思うばかり。こんな、のたっとしたなめくじのようなやつと面接している先生の精神状態があやぶまれる。ちょうど足もとはびちょびちょにぬれてしまっているし。

 

 そして今回は、受診のついでに、あるプログラムに参加した。これは自費。と言っても生活保護費から出すので自費……? って感じだな。ストレスをコントロールするみたいな……マネジメント的な……そんな感じのプログラム。

 結論からいうと、これがてきめんにだめだった。どのくらいだめだったかというと、話を聞きながら心臓がばくばくし、講師(司会?)の質問に答えられず、ずっと涙ぐんでうつむいて、終わってからの帰り道をずっと泣きながら歩くくらいにはだめだった。

 

 なにがだめだったかというのは、いまのところふたつ、思い当たる理由がある。

 

 ひとつめ。

 大学生のとき、こういう形式で少人数の講義を受けていて、発作的に泣き出してしまい、その後、予期しないかたちで自分の子ども時代について吐露する結果になったことがあった。

 きっかけは、教授が質問をしてきたことだった。

 いわく、「児童に対する肉体的な虐待と、精神的な虐待とでは、どちらがより悪いと思うか?」

 指名され、答えなければならなくなったが、とても答えられなかった。どちらが悪いか考えることもできなかった。てきとうに答えることもできず、声も発せられず、ただちょっと笑って、首を横にふってごまかそうとした。

 しかし教授は、その反応を、学生によくある自分の考えを述べることを恥じらっている態度と考えたのか、「どちらか選ぶだけでかまわない」と助け船をよこした。

 その後どうしたかはっきり覚えていないが、とにかくものすごい勢いで泣き出したことだけはたしか。友人がふたり、いっしょに講義を受けていて、たぶん非常におどろいていたことと思うが、ティッシュを差し出してくれたり、その後もそばにいると申し出てくれたり(ことわったけれども)、いたわってくれた。

 泣いているあいだに講義が終わり(ちなみに教授が用意していた質問のこたえは「くらべられるものではない」だった)、教授が研究室へ招いてくれた。そこで、家族のことだとか、子ども時代のことだとかを、泣きながらいろいろと話したと思う。内容はおぼえていない。教授は不用意な質問をしたと謝罪してくれ、名刺をくれて、もしまた相談したいことがあったら連絡してほしいと言ってくれた。

 その名刺は、在学中ずっと、学生証といっしょにお守りのように持っていたが、その後、いちども相談には行かなかった。

 

 ふたつめ。

 そのプログラムでは、「ストレスから逃げるのは根本的解決にはならない」というような表現がふくまれた。そういう意図を感じたとき、ずっと長いことストレスから逃げようとしていることへの罪悪感と、ストレスに対処しようとした古い記憶だった。

 成人してからこちら、人生を、ストレス、つまり家族から逃避するために費やしてきた。何度か、逃げることをやめるべきだと考え、向き合おうと努力したようなときもあったが、結局は逃げることに終わった。これは弱さの発露で、ストレスと向きあわないかぎり、永遠に対症療法をつづけるだけで、解決にいたらないのかもしれない、という考えはずっと頭のどこかにあった。

 けれども、家族と接触するたび、すべての努力が無駄で、無為で、無謀なように感じられる。わかりあうなんて無理だし、あっちはこっちを無意識に容赦なく痛めつけてきて、それをふせぐためにこっちはあっちをうちのめすしかない、ように。だから結局、極端な解決に飛びついてしまいそうになる。それは、死ぬか、殺すかというやつだ。

 この、死ぬか、殺すか、のうちの、殺すか、という部分に、古い記憶がかかわっている。小学生のころ、泣きながらなまくらの包丁を握って、真夜中に、両親の寝室のそばでふるえていたことがあった。父や、母や、そのほかの家族を殺さなければ、このさきの人生はないのだと思いつめていた。人生でいちばん暗い記憶かもしれない。こうしていま、寒々しいひとりの部屋で、だれに読まれることもないかもしれない文章を打っているときより、あのころはずっとひととのかかわりがあったけれども、死ぬほど孤独を感じていた。思い返しても、あのころ、あのときほど孤独だったことはないと思う。

 プログラムを受けてからこちら、この夜のことを、夢に見るようになってしまった。目をさまして、いまは小学生ではなくて、父親にやしなわれてもいなくて、家族にいどころを知られてもいないことにものすごく安堵する。ものすごく安全なところにいるんだ、と。

 こう書いていくとめちゃくちゃダメージばかり受けていて、治療としてはどうなのかなって感じだけれども、上記のようなことを傷のようにして思いだしたのははじめてだったので、それは収穫なのかもしれない。よくわからない。

 

 つぎの受診のときにもプログラムを受ける予定だけれども、また似たようなことになるんじゃないかと考えていまから気鬱だ。