うつでなまぽ

うつでなまぽな生活です。

精神科受診「さんかいめ」

 ずいぶん間があいてしまったが、受診はもっとまえにすませていた。

 雨が降っていたので、通院がたいへんだった。ふだんは原付で行っていたのだ。まだ二回しか行っていないものを、ふだんというのはちょっと妙な感じがするけれども、そうなのだった。

 家から歩いて、足もとをびちゃびちゃにしながら行った。さむかった。

 

 で、さんかいめ。やっぱりとくになにもなし。薬もそのまま。

 この治療に対する反応のにぶさは、先生にもちょっと予想外っぽい。なんだか申し訳ない気もするが、かといって調子がいいですよとうそをついてもはじまらない。

 時間がかかるかもしれないし、ほかのひとのように、スパッと治りはしないかもしれない、というふうに説明をされた。

 みじかい時間でスパッと治るというイメージをそもそも抱けていなかったので、そうなのかあ……と思うばかり。こんな、のたっとしたなめくじのようなやつと面接している先生の精神状態があやぶまれる。ちょうど足もとはびちょびちょにぬれてしまっているし。

 

 そして今回は、受診のついでに、あるプログラムに参加した。これは自費。と言っても生活保護費から出すので自費……? って感じだな。ストレスをコントロールするみたいな……マネジメント的な……そんな感じのプログラム。

 結論からいうと、これがてきめんにだめだった。どのくらいだめだったかというと、話を聞きながら心臓がばくばくし、講師(司会?)の質問に答えられず、ずっと涙ぐんでうつむいて、終わってからの帰り道をずっと泣きながら歩くくらいにはだめだった。

 

 なにがだめだったかというのは、いまのところふたつ、思い当たる理由がある。

 

 ひとつめ。

 大学生のとき、こういう形式で少人数の講義を受けていて、発作的に泣き出してしまい、その後、予期しないかたちで自分の子ども時代について吐露する結果になったことがあった。

 きっかけは、教授が質問をしてきたことだった。

 いわく、「児童に対する肉体的な虐待と、精神的な虐待とでは、どちらがより悪いと思うか?」

 指名され、答えなければならなくなったが、とても答えられなかった。どちらが悪いか考えることもできなかった。てきとうに答えることもできず、声も発せられず、ただちょっと笑って、首を横にふってごまかそうとした。

 しかし教授は、その反応を、学生によくある自分の考えを述べることを恥じらっている態度と考えたのか、「どちらか選ぶだけでかまわない」と助け船をよこした。

 その後どうしたかはっきり覚えていないが、とにかくものすごい勢いで泣き出したことだけはたしか。友人がふたり、いっしょに講義を受けていて、たぶん非常におどろいていたことと思うが、ティッシュを差し出してくれたり、その後もそばにいると申し出てくれたり(ことわったけれども)、いたわってくれた。

 泣いているあいだに講義が終わり(ちなみに教授が用意していた質問のこたえは「くらべられるものではない」だった)、教授が研究室へ招いてくれた。そこで、家族のことだとか、子ども時代のことだとかを、泣きながらいろいろと話したと思う。内容はおぼえていない。教授は不用意な質問をしたと謝罪してくれ、名刺をくれて、もしまた相談したいことがあったら連絡してほしいと言ってくれた。

 その名刺は、在学中ずっと、学生証といっしょにお守りのように持っていたが、その後、いちども相談には行かなかった。

 

 ふたつめ。

 そのプログラムでは、「ストレスから逃げるのは根本的解決にはならない」というような表現がふくまれた。そういう意図を感じたとき、ずっと長いことストレスから逃げようとしていることへの罪悪感と、ストレスに対処しようとした古い記憶だった。

 成人してからこちら、人生を、ストレス、つまり家族から逃避するために費やしてきた。何度か、逃げることをやめるべきだと考え、向き合おうと努力したようなときもあったが、結局は逃げることに終わった。これは弱さの発露で、ストレスと向きあわないかぎり、永遠に対症療法をつづけるだけで、解決にいたらないのかもしれない、という考えはずっと頭のどこかにあった。

 けれども、家族と接触するたび、すべての努力が無駄で、無為で、無謀なように感じられる。わかりあうなんて無理だし、あっちはこっちを無意識に容赦なく痛めつけてきて、それをふせぐためにこっちはあっちをうちのめすしかない、ように。だから結局、極端な解決に飛びついてしまいそうになる。それは、死ぬか、殺すかというやつだ。

 この、死ぬか、殺すか、のうちの、殺すか、という部分に、古い記憶がかかわっている。小学生のころ、泣きながらなまくらの包丁を握って、真夜中に、両親の寝室のそばでふるえていたことがあった。父や、母や、そのほかの家族を殺さなければ、このさきの人生はないのだと思いつめていた。人生でいちばん暗い記憶かもしれない。こうしていま、寒々しいひとりの部屋で、だれに読まれることもないかもしれない文章を打っているときより、あのころはずっとひととのかかわりがあったけれども、死ぬほど孤独を感じていた。思い返しても、あのころ、あのときほど孤独だったことはないと思う。

 プログラムを受けてからこちら、この夜のことを、夢に見るようになってしまった。目をさまして、いまは小学生ではなくて、父親にやしなわれてもいなくて、家族にいどころを知られてもいないことにものすごく安堵する。ものすごく安全なところにいるんだ、と。

 こう書いていくとめちゃくちゃダメージばかり受けていて、治療としてはどうなのかなって感じだけれども、上記のようなことを傷のようにして思いだしたのははじめてだったので、それは収穫なのかもしれない。よくわからない。

 

 つぎの受診のときにもプログラムを受ける予定だけれども、また似たようなことになるんじゃないかと考えていまから気鬱だ。

精神科受診「にかいめ」

 二回目の受診。

 とくに変わったことなし。

 

 ひとつわかったことは、「いやな考えごとをしないために、つねにべつの考えごとで頭をいっぱいにしておく」ことはあまりよくない方法であるらしいこと。

 ずっとこれを実践していて、頭のなかはいつでも考えごとでいっぱい。そういう生活があたりまえだったので、青天の霹靂感がある。みんな、こうしているものだと思っていた。ちがうということは、じゃあみんなは、なにも考えてない時間があるのか? 不安にならないんだろうか。さきざきの悪い可能性に、むだに思いをはせずに生きるだなんて、なんと賢いひとびとであろうか。

 

 ちくま文庫の「クマのプーさん エチケットブック」(A.A.ミルン原案、E.H.シェパード絵、高橋早苗訳)の、「じゅうようなたしなみについて」P155に、こうある。以下引用。

 なにもしないでいること――ただ歩きながら、きこえない音に耳をすまし、なにも思いわずらったりしないこと。そのたいせつさをみくびってはいけません。

  同じくP153。

川はちゃんと知っています。いそぐことはない、いつかは着くべきところに着くってことを。 

 

 座右の銘とすべきか。

 しかし、考えないことも、不安がないことも、なにかを見落としているような、まちがっているような気がして、どうにも落ち着かない。病気だからなのか、性分なのか、こんなのが性分だから病気になったのか。

 

 リフレックスが前回15mgだったのが、倍の30mgに増量。しかし特段変化は感じられず。

 しかし、精神的に働く薬の効果って、どうやってはかるのだろう。体温計ならぬ、気分計なんかがあれば、楽なんだけど。

治療「リフレックス」

 処方されたのは抗うつ剤睡眠導入剤漢方薬の三種類。

 このうち抗うつ剤リフレックスという名前の薬だった。くわしい効用についてはぐぐってもらいたい。明治製菓から販売されている薬だ。ほかの製薬会社からおなじ成分の薬がべつの名前で売られているらしい。そのあたりはよくわからない。

 リフレックス。めっちゃリフレッシュしそうな名前だ。

 

 先生によれば、だいぶ眠くなる薬らしい。不眠と中途覚醒を訴えたための処方であろう。あとは、現在就業していないので、眠気が昼間まで持ち越してしまっても問題にならないし、長く眠ればそれだけ休めて、回復できるわけで、むしろいいことだということも理由だろう。「眠かったらこれ幸いと眠ること」というようなことを言われた。

 

 リフレックス睡眠導入剤は寝るまえに飲むように処方された。

 で、寝るまえに飲んでみたが、べつに眠くはならない。ふしぎだなあと思いつつしばらくしてから布団にもぐったところ、ものすごい勢いですとーんと眠りに落ちた。落下という感じ。いつもはもぞもぞやってやっと眠れるのだけど、すとーんだった。落とし穴に落ちた感じ。寝たのはたぶん23時くらいだったと思う。

 そして翌日は15時くらいにいちど起きて、眠くてならんのでまた寝て、18時に起きて、トイレに行こうとして立ち上がったらすさまじいふわふわ感。雲の上を歩くかのような感触。

 さらに翌日は11時くらいにめざめ、そこまで眠くはなかったものの、ふわふわ感はまだあった。ベッドの上でぼんやりしてすごした。

 さらにさらに翌日は、ふつうに8時くらいにめざめ、眠くもなく、ふわふわ感はほとんどなくなっていた。

 

 最初の日にネットで調べたとき、「眠気やふらつきはおおむね3日から1週間ほどで消失する。理由はわからない。」とあって、だから異様な眠気やふらつきなどを体感してもさほど心配していなかったのだけど、それでも一日目は「これがほんとうに3日やそこらでおさまるのか?」とたいへんに疑問だった。薬の効きをみるためということで、数日後には再受診の予定だったのだけれども、それにさえ行けないのではないかと感じるほどだった。

 でも、3日できれいさっぱり消えた。まれに消えないひともいるらしいが、なんにしろ、どういう作用なのだろうか。よくわからん。だれか解明してほしい。

 

 まだ抗うつ剤の本来の効用は感じていない。

 また、リフレックスには体重増加の副作用もあるようだ。食欲増進? それもまだ体感していない。まあ副作用だからかならず出るともかぎらないわけだけれども、ちょうどいい副作用なのでぜひ出てほしいなと思う。体重はできれば筋肉で増やしたいものだが、このさいぜいたくは言っていられないので、脂肪でもかまわないぞ。

精神科受診「精神科初診」

 タイトルが間違い探しのように。

 

 生活保護受給者となることが決まり、保護費も受給され、「傷病者として治癒に努める」義務が発生した。義務とはいいものだ。すべきことをしめしてくれる。人生の指針だ。ふつうのひとはそれを自分で見出すものだろうが……

 

 さて、タイトルを「精神科初診」としたが、実のところ、精神科にかかるのがまったくのはじめてというわけではない。子どものころからまあそこそこいろいろと問題を抱えていて、精神科だか心療内科だかにも、受診した経験はある。ただ、そのときはまだ子どもだったこともあり、「自分が病気だから、困っているから、なんとかしたい」という気持ちより、「自分の頭や行動がおかしいから、おかーさんがいろんな病院に連れて行って、いろんな医者にいろんなことを言われている」というような認識だった。

 なので、「よくわからないことにお金が費やされている」ことが不安でしかたがなく、結局はもう治ったとか必要ないとかなんとか言ってやめてしまった。

 

 しかし今回はちがう。傷病者として生活保護を受けたからには、この病気を治癒、または寛解させて、就労し、自立できるよう努めなければならないのだ。プレッシャーだ。

 

 道に迷って遅れてはいかんとおびえたうえ、予約の時間を30分もまちがえたので、近所の本屋で立ち読みしてすごした。受診まえからすでに疲労困憊の体たらくであった。

 あと、生活保護が決まるまえの病院、そして役所の相談員さん、と二度もの号泣前科があったので、ポケットにそっとポケットティッシュを忍ばせていた。これでうっかり号泣してもスマートに涙と鼻水が拭けるはずだと考えた。涙と鼻水が垂れている時点でスマートとはほど遠い地点にいることはまちがいないが、ないよりはましなはず。

 

 そして病院というか診療所というかに行き、受付を済ませ、わーここめっちゃスタッフのバックヤードの声聞こえるプライバシーないなーとか思ったり、事前の問診とか、身体測定とかをし、精神科医の先生とお話をしたわけだけれども、やっぱり泣いた。

 泣いたうえ、持ってきたポケットティッシュがどこにあるかわからなくなり、そっと差し出された箱ティッシュを結局5枚くらい使ったと思う。最低5枚は使ったはず。涙を1回ぬぐったらすてるとかいうセレブなことはせず、使えるだけ使って捨てていたにもかかわらず。つまりめっちゃ泣いた。なんで泣くことあるの? いじめられたの? という感じだけれども、とにかくよくわからんが涙が出る。べつに、自分でも、泣くほどのことか? とか、過去のことやないか? 的に思っているんだけれども、それでも泣く。人間ってわからん。

 

 それで言われたのが、「PTSDですね」だった。

 PTSDて……

 存在自体を知っていはいたけど、ああいうのは、飛行機が墜落したり、交通事故にあったり、テロに巻き込まれたりしたひとがなるものだと思っていた……

 思っていたというか現在進行形で思っているし、自分がそうだとはあまり思えない……

 でも自分とそういうイメージ上のPTSD患者の違いを論理的には説明はできない……

 

 先生によると、過去のことでPTSDになって、そこからうつを発症しているので、まずうつ状態を改善してから、PTSDにとりくむべき。過去のことはいまは置いておこう。というような感じ。

 なのでこのブログでも過去にはふれていないわけですな。これからもふれるかどうかはわからん。

 PTSDとかなんとか言われてもなんかピンとこないわけだけれども、とりあえず診察が終わり、採血をして、処方箋をもらい、薬局で薬を受け取って、帰宅した。

 あ、薬の説明もていねいにちゃんとしてもらった。

 

 過去のことを話したせいか、ぼうっとしていてもあまりよくない記憶がよみがえり、泣けてきて参った。思春期の感じやすい少年少女か?

 しかし、とりあえず、治療は始まったわけで、たぶんいまよりはよくなっていくはずなのだ。いまが底のはずだ……と思う。たぶん。

うつでなまぽの前段階「終わりとはじまり」

 タイトルが妙に格好いいことに…

 

 また役所へ出向いた。携行物は通帳、印鑑、あと国民健康保険証。

 通帳は今後は保護費が振り込みになるのでそのため、印鑑は書類に必要なものがあるから、国民健康保険証は生活保護になると医療扶助を受けることになるので、保険証は返納することになるため。

 出かけるまえに5回くらい鞄のなかを確認して家を出たが、原付に乗ったところでまた不安になり確認するところだった。なんとかこらえた。こらえる意味があったかどうかわからないけれど。

 

 役所について、保護課へ行ったら、また例の小部屋へ通された。壁薄い。そしてめがねさんが現れ、書類、書類、また書類。わんこ書類。住所と名前を書きなぐりながら、住所のハンコがあればいいのに…とさえ思った。いちおう、内容をよく読んでサインを…と言われ、読んだつもりだが、覚えていない。不正受給はしませんとか収入があれば報告しますとかそういう内容だったと思う。

 そして生活保護受給についてのしおりの説明なんかがあり、その後、今後通院する精神科病院をどこにするかという段になった。めがねさんが相談員だという女性職員を連れてきて、精神科ということに抵抗はあるか、大きい病院がいいか、小さいクリニックがいいか、近いほうがいいか、多少遠くてもいいかというようなことを訊かれ、もう、へどもどした。なにがいいかなんてわからない。

 相談員さんが言うには、大きい病院だと、入院したりするときに手間がいらない。小さいところだと、手間がいるけれども、紹介状を書いてもらえばすむ。通院するとき、大きい病院だと待ち時間があったり、先生が変わったりということがある。小さい病院だと、遅くまでやっていたり、フレキシブルな対応がのぞめる、ということだった。

 そんな説明をされ、病院のリストをべらっと見せられる。生活保護で受診できる(ようするに医療扶助の契約を国と取り交わしている)病院・クリニックの一覧であった。A4紙両面。こんなにあるのかと思いつつ、しかし、病院名と電話番号と住所ぐらいなもので、どこがいいと訊かれてもやっぱりさっぱりわからない。

 結局、相談員さんも知っている精神科医が、最近大きな病院から独立して立ち上げたという、あたらしいクリニックはどうか…遠いけども…となり、めがねさんが「とりあえず行ってみるのは?」と背中を押してくださったので、そこに行くことに決めた。

 そしてめがねさんが受診の予約を取りつけに行ってくれているあいだ、相談員さんが「すみません、いろんな情報をばーっと詰め込むようなかたちになってしまって、戸惑ったでしょう」とわびてくれた。こちらとしては「いやいやお気になさらず。こちらこそお手間を取らせてしまって申し訳ない」などと如才なく返したいところだったが、じっさいは「いえ…」と消え入りそうな声で返すのが精いっぱいであった。

 で、どうにもこちらのようすが相談員さんの目には要支援対象者というふうにうつるらしく(いやじっさい支援を要しているわけだが)、「今後、なんでもないことでも、ちょっと話すだけでも、わたしのところへ来てみるのはどうだろう…」という提案をしてくださった。ありがたい申し出だ。だが、そうするのがいいのか、悪いのか、わからなくなった。もともと人付き合いが得意ではないのだ。親切にしてもらったら、もらっただけ、負い目に感じてしまうのだ。仕事とはいえ、みすごしてもなんの損もこうむらないようなところに、あえて手をのばして助けてくれようとしているのに、その手から逃げようとしている。なんだか情けなくなり、泣いてしまった。泣いてばっかりじゃないか。感情豊かなやつだよ。

 

 その後、精神科の予約は明日ということで決まり、保護費をもらって、健康保険証を返納し、国民年金の免除申請をしたのちに帰宅した。

 

 とりあえずここまでで前段階は終わり。

 いろいろなところを省いているのでなにがなんだかわからないと思うが、覚えていないのだと思ってほしい。

うつでなまぽの前段階「いろいろあった」

 いろいろありすぎて忘れた。とにかく命じられたことをやり結果を待つだけだった。

 時系列が前後するかもしれないがとりあえず、いろいろあったうちの覚えていることを書いておこう。

 

・家庭訪問

 家庭訪問があった。申請に行ったときに対応してくれた職員が地区の担当らしく、家庭訪問にもそのひとが来るとのことだった。ちなみに男性であった。名前をだすわけにはいかないので、めがねさんとお呼びすることにしよう。こちらもめがねかけてるけど。やさしげで背の低い男性であった。いいことだ。威圧感のない男性は接しやすい。

 さて部屋にひとが来るということで、やるべきことは掃除だ。部屋は散らかっていた。ごみ捨てはこまめにやるほうなのでごみ屋敷とまではいかないが、洗濯して干して取り込んでたたんでいない衣服が散らばっている。あかん。これはあかん。というわけでなんとかがんばって掃除した。

 風呂場とトイレ(ユニットバスだから一部屋)をそこそこにみがきあげ、クローゼットも整理整頓した。ものがないので片づけるのも楽だ。よかった。

 

 そしてめがねさんがやってきた。めがねさんのために、この部屋に唯一あった平べったいクッションを座布団としてすすめようと、おいておいたのだけれども、うまくすすめられず、めがねさんは床にじかに座っていた。たいへん申し訳なく、ことあるごとにタイミングをつかんですすめようとしたが、うまくいかなかった。

 家庭訪問でやったことは、簡単な質問とか、こちらが書類を記入しているあいだにめがねさんが部屋の間取りをメモしたりという感じのことだった。浴室のドアやクローゼットなどは開けることなく済まされた。あとで調べてみたところ、開いていないところをあけて詳細に調べるには捜査令状みたいなのが要るそうだ。

 

 あと、親兄弟に送るという「このひとが生活保護を申請しましたけど、扶養できませんか」という書類を、これを送りますよという感じで見せてもらった。

 実は、両親や兄弟には、諸事情あって現住所を伏せている。まあばれたらばれたとき…と思いはするものの、できるだけばれたくない。めがねさんに「ここの住所を伏せてもらうことってできますか…」とおそるおそるたずねたところ、「あ、書いてませんよ!」という返事であった。書いてへんのかい!

 あらためてみせてもらうと、たしかに書いてなかった。役所の名前は出ているので、この区域内というのはわかるだろうけど…とめがねさん。まあそのくらいなら許容範囲だったので、よかったと思いました。

 完全に伏せたいひとは申請の時点で相談しておいたほうがいいんじゃないかな。いちおう、申請のときにも「この(親兄弟の)連絡先に送って大丈夫ですか?」という確認はあった。のだけれども、そのときは、相手をわずらわせたくない…という思いから元気に「ハイ!」と応えてしまっていたのだ。気になることはなるべく言っておいたほうがいい、あとからどうしようどうしようとざわざわしてしまったりするから。

 

 ちょっとした書類に記入みたいなことがあった。わら半紙で、めちゃめちゃなつかしい感触。事前にもらったんだかそのときもらったんだかあいまいだったけれども、小学校入学の年月みたいな、思いだせるかよみたいなのまであって、でも、いっしょうけんめい思いだそうとしていたら、そこは書かなくて大丈夫というようなことを言われた。たぶん名前さえ覚えていればいいのでは。

 

 あと、最初の申請の日に持っている通帳の前頁をコピーしてもらったんだけど、その内容についていろいろ質問が。企業年金脱退一時金とか、確定申告後の還付金とか、すっかり存在を忘れていたぶんについてとか、めっちゃATMロトくじやってんねとかそういう。いつの間にこんなにロトくじを引いて一攫千金を狙っていたのだろう…地味にときどき当選しているのもまた恥ずかしい…

 

 結局10分くらいで家庭訪問は終了し、めがねさんは帰って行かれた。

 

・病院

 病院へ受診した。内科と精神科。

 内科は血を抜いたり尿を取ったり身長と体重をはかったりレントゲンを撮ったり心電図を取ったり。とくになんというところもなかった。言えることは、そう、採血の看護師さん、採血うまいなということ。尿があまり出そうになくて不安になりつつコップに排尿したけど、意外に出たなということ。

 

 精神科では、診断のために幼少期からなんからこれまでから現状などいろいろ訊かれるのだけれども、当然ながら「どうして?」の連続で、この質問に恐怖を感じてしまう面倒な性分なもので、ひたすら精神科医(男性)の太もものあたりを凝視しながら、泣いたり泣いたりあと鼻水を垂らしたりしていた。箱ティッシュを差し出され、タオルを持ってくるべきだった…と思いながらありがたくつかわせていただいた。

 結論として、「これまでの話で、あなたはだれかに相談するということをせず、ひとりで抱え込んでいる。相談しなければだめだ。相談しなさい。あと、どこでもいいから精神科、心療科などに受診をするように。生活保護が決まったらだけどね、まあそういう感じで書くことになると思うし、いまはっきり病名がなにとは言えないけど、受診をするように。相談しなさい。」という感じだった。

 もはや「箸が転げても泣ける」状態に陥っていたので、はい、はい、と返事をして、なんとか涙をおさめ、病院を出て、泣きながら家に帰ってまた泣いた。

 

・電話

 めがねさんから病院の診断結果が出ましたということで、いちど書類やなんかのために役所へおいでということだったので、行った。

 診断結果は受診加療を要するとかいうことなので、生活保護が決まった場合には、まず治療をすることを念頭に置くとのことであった。診断書の紙ははっきり見せてもらえたわけではないが(見せてと言わなかったので、見せてほしいと言えば見せてもらえるのかも)、うつ病とめっちゃ書いてあった。うつ病かよ。

 あと、役所内ハロワで就職指導をしてもらうつもりだったが、それはなしということになり、めがねさんはたまに話をしてはどうか…と言ってくれたが、こちらが判断できずへどもどしていたところ、こりゃ無理やなと思われたのか、その話もなくなった。

 通帳にアルバイトぶんの給料が入ったので、それをまたコピーしてもらった。

 めがねさんに、「生活保護は、受給という方向で上司にあげようと思っていますから」というふうに説明をもらう。つまりめがねさんの上司さんがダメだと判断するのだな…と考える。

 

・電話2

 生活保護が決まりましたよというめがねさんからの電話。当然ながら「やったー!」とか言う気分にはならず、殴られると思ってたら黄金糖をひとつぶもらったような奇妙な気分になり、ぼんやりありがとうございますと言う。めがねさんは必要書類などを説明し、こんどの受給日に役所に来るように、と教えてくれる。

 

 結局なにをどうしたかったのか混乱する。

うつでなまぽの前段階「申請してみた」

 前回までのあらすじ

 頭がおかしくなり死なねばならないという気持ちから逃れられなくなり金も尽きたので生活保護の申請に行って追い返されようと思った。

 

 行くまえに多少ごたごたしたことがあったが、それは気が向いたときに書く。

 

 申請直前の状態はこのような感じ。

 あたま:おかしい 読み間違いや数え間違いが異様に多い

 からだ:おかしい ごはんがなぜか食べられない だいぶやせた

 スペック:無職ひとり暮らし 就職活動中@単発アルバイター

 おかね:あと3万円くらい

 

 とりあえず必要と思われる書類をそろえ、役所の生活保護課に行ってみた。

 ネットでは「生活保護を管轄している課には基本、ほかの課のような呼び出しシステムはない。ちゃんと声をかけないと職員は来てくれないぞ」と書かれていた。なるほど生活保護課には、ほかの国民年金課とかみたいに呼び出しシステムがなかった。

 これが第一の関門か…

 普段でもこういうところ、「す、すいません…」としか声がかけられない。いまは声すら出ないかもな。カウンターの前でおどおど挙動不審になって終わるのだ。そしたらもう帰ろう。それがお似合いなのだ。

 と思いつつカウンターの前に立ったが、普通にそばにいた女性職員がさっと来て「ご用件はなんでしょうか?」とたずねて来てくれたので、ネットあてにならねえ~と思った。

 

 で、「生活保護の申請に来たんですけど…」と死にそうな感じの声で言った。

 ネットには「受給したいなら相談と言ったらだめだ! 申請というんだ!」と書かれていた。しかし、そういう理由で申請と言ったわけではなかった。なんというか、相談というのはハードルが高かったのだ。意味がわからんだろうが。もうなんか…こっちではなにも判断できない! そっちで決めてくれ! というクソ甘ったれた状態だった。相談というと、やっぱり、「アドバイスはする。だが、結局決めるのはきみだ」というところがあると思う。よくわからないけど、当時のイメージがそんな感じだった。

 話を聞いてくれた女性職員は、「じゃああっちの小部屋へどうぞ」と案内してくれた。

 

 案内された部屋、めっちゃ壁が薄い。というかパーテーション。声がめっちゃ聞こえてくる。プライバシーもクソもなかった。隣では高齢の女性がなにか相談している。反対隣では、若い男性職員がだれかに説明をしていて、「住所が変わったときとか、引っ越したときとか、あと住所が変わったときには知らせてください」などと言っていた。おなじこと2回言ってる。というか実質全部おなじじゃない? と考えていた。

 ちょっと待っていたら、職員がやってきた。なんだかやさしそうなひとであった。このひとが水際作戦をするのか…大変だな…申し訳ないな…といまさら思った。申し訳なく思うなら家で引きこもっていればよかったのに。

 

 職員は自己紹介をしたあと、こちらの現状について質問をしてきた。このへんから緊張だとかもろもろで完全にあいまい。まあ体調がおかしいとか金がないとかは言ったと思う。あと現在している単発アルバイトの話とか。

 こちらが実家を出ていて、両親は健在であるので、「ご実家には戻れない感じですか?」とかも訊かれたものの、事情について話すと「ああそうなんですね」とそれ以上は特に言われなかった。事情については気が向いたら書く。

 いろいろ書類も書いた気がする。近親者の連絡先とか。これは両親、兄弟姉妹まででよかった。

 それで、「これからどうなりたいと思っていますか?」というようなことを訊かれた。返事に窮した。「人に迷惑をかけずに死なねばならないと思っています」とか言ってどうするという感じだし、なら生活保護申請するなよって感じだし。

 というか何のためにここに来たのか? すくなくともこの役所では、水際作戦は幻だったし、職員はめちゃめちゃやさしい。親切で丁寧だ。追い返されに来たのに。ここは席を立って「やっぱり申請はやめます」とか言って出て行くべきところでは? そうしないということは結局甘ったれたまま生きていこうとしているという証左ではないのか? そもそも追い返されに来たという考えの時点で甘ったれすぎてはいないか? なにやってるんだ?

 しばらくのあいだ、フリーズした。このフリーズのまえにも、ちょこちょこ質問の意図が取れずに黙り込むことはあったので、職員は待ってくれた。結局、「働きたいんですけど…」とかじゃあハローワーク行けよ的な言葉がやっと出てきた。職員は傾聴の態度で聞いてくれた。なんか研修とか受けてるんだろうか。

 

 結局、申請をして、その手続きのあいだに病院にかかって就労できる状態かを判定し、できるようなら就労支援、できないようならできるようになるまで治療(申請が受理された場合)ということになった。あと家庭訪問をしますよと言われた。

 そして、就労意欲があるということで、本格的な就労支援は申請が受理されてからだけれども、後日、役所内にあるという生活保護ハローワークというのに相談をしに行くということになった。さっき話を聞いてくれた職員といっしょに生活保護ハローワークまで行き、主に職員どうしでのやり取りのあと、これでおしまいですよ…ということになった。

 

 もうなんかよくわからんまま帰った。自分が何をしたかったのかもわからなくなり、これからどうなるかもわからなかった。ただ、結果を待てばいいというのは多少気が楽だった。甘ったれだから。

 精神科で就労できる状態かを見てもらうということになったので、これはきっと見抜かれるのだと思った。この甘ったれた精神を見抜かれるはずだ。「こいつ働けるのに甘ったれてますよ!」的な。水際作戦はなかったが、正当な事由で追い返されるのだ。

 でもその気分のなかにはちょっと、「もし本当に病気で、治療できるものなら、死ななければならないと思うことがなくなるんだろうか…」という期待もあり、「それはない」という諦念もあり、「死ななければならない」というあいかわらずの気持ちもあり、完全にカオスだった。

 

 ブログタイトルがやっぱりネタバレだよな。