うつでなまぽ

うつ病でPTSDでアスペで生活保護受給中の生きものがいろいろ書きます。

こもごも「自転車で走る」

 体重はそんなでもないんだけど体脂肪がヤバいので、運動せねばと思って自転車を買った。ロードバイクとかのおしゃれなやつじゃなくて中古屋で6000円くらいで売っていたママチャリではないけどマウンテンバイクでもないみたいなやつ。ハンドルが一直線になってるやつ。一時期、ハンドルが曲がったママチャリがかっこいいみたいな風潮があったけどなんだったんだろうね。わたしの好きなハンドルまっすぐ型の自転車が激減してほんとうに迷惑な風潮だった。

 

 で、その日に走ってみたんだけど、ちょっとの距離でものすごく疲れてしまい、運動不足やべえ……と戦慄した。あとから思い返すと、自転車に乗るのがひさしぶりで勝手がつかめず無駄な動きが多かったこと、その日食事を抜いていたことがあいまってそんなことになってしまっただけのようだ。でも、以前より走れなくなっているのは確かなので、やっぱり運動不足がやべえのは変わりねえ。

 

 わたしは目的のない運動ができない(すぐ飽きてやらなくなる)ので、移動手段を自転車にすることで運動量を増やすというのはおそらく効果的だろうと思う。ただ、たまには原付にも乗らないといざというときに動かなかったら困るから、そのへんも考慮しつつやっていきたい。

 

 あまりに原付になれた生活を送っていたため、自転車に乗っていても原付のくせが出てしまう。後方確認にサイドミラーを見ようとする(ないのに)、青信号発進時に右手をひねってエンジンをふかそうとする(ないのに)、曲がるときに方向指示器のスイッチを指ではじこうとする(ありはしないのに)。ヘルメットかぶってない!!! とビビったこともあったな。

 しかし、こうしてみると自転車ってこわい乗り物だよなと思う。後ろは見えないし、どちらに曲がるか周囲に知らせることもできないし(手信号というのはあるがあれは片手運転にならないのだろうか)。現在は自転車を歩道から車道に追い出そうキャンペーンがさかんだけれども、ヘルメットもかぶってない、ほぼ生身の状態で、車道を走る勇気がわたしにはない。

 原付に乗っているとき、野放図な自転車のふるまい(車道の右側を走行、左折する車をよけて思いっきり車道へ入り込む、後方確認をしないまま歩道から車道へ入ってくるなど)に辟易していたが、自転車に乗っているとむしろかれらの蛮勇に感心する。自殺願望かドライバーを憎んでいて命に代えても罪を背負わせたいのだとしか思えない。いくら歩行者と車の事故ではドライバーに責任がおっかぶせられるとはいえ、死ぬのは確実に自転車乗り。

 

 とりあえず事故死はいろいろと迷惑だと思うので、自転車でも安全運転を心掛けたい。

治療「あいかわらず調子はわるし」

 どうにもパッとしないので薬が増えた。朝、イフェクサーカプセル二つだったのが三つへ。75mgが三つだから225mg。計算しにくっ。なんでこんな微妙な量なんだろう、イフェクサー。これが最大量らしい。

 整理すると、いま服用している薬は、

 

 朝:四物湯2.5mg、桂枝加芍薬湯2.5mg、イフェクサー225mg

 夕:四物湯5mg、桂枝加芍薬湯5mg

 寝る前:エビリファイ2mg、ベルソムラ20mg

 

 こんなかんじ。この処方でなにが困るかというと眠い。ひたすら眠い。夜はよく眠れるけど昼も眠く、しかし昼寝はできない。すごく眠いのに眠れはしないのだ。最悪のやつだ。

 四物湯+桂枝加芍薬湯はフラッシュバックにきくらしいが、よくわからない。あいかわらず、ちょっとしたきっかけ(両親に似たひとを見るとか、キーワードにふれるとかなんとか)でぞわぞわぞわっとおののく感じがある。子どものころに一気に引き戻されて、危険だ! というアラートが鳴り響く感じ。なんかアレルギーのようだ。過剰防衛だよな。すくなくともいまいるところにとどまるかぎり、両親と遭遇する確率はかなり低く、くわえて遭遇したところでなんだというのだ。なにを怯えているんだ、もう三十路のくせに。

 あと、なにかしているといろんなことを忘れられて元気でいられるのだけど、反動がすごい。まえにも書いた気がする。忘れていたことがもどってきたときがヤバい。なんで忘れてるんだ、なにを逃げてるんだと罪悪感がのしかかってくる。逃げたっていいだろと意識は思っているけど、無意識は逃げてはいけないと思っているぽい。めんどくせー無意識だよ。そして、腰にバンジージャンプ用みたいなゴムがついてて、それがいやな記憶とむすびついていて、離れれば離れるほど、結局はいやな記憶に思い切りたたきつけられるような、そんな感じ。むりです。むりむり。

 

 いいことなのか悪いことなのかわからないが、以前はエビリファイ2mgを飲むと翌日ソワソワしてたまらなかったのが、いまはとくにない。これはあれか、慣れたのか。体が。よくわからない。

昔の話「ろくでもない子どもVSろくでもないおとな」

 過去のことに関して、「わたしが悪い」と「わたしは悪くない」をずっと行ったり来たりしている。裏を返せば「親は悪くない」と「親が悪い」でもある。

 わたしはろくでなしの育てにくい子どもで、だから親も手を焼いてああいう対応をせざるを得なかったんじゃないか。そうだとしたらわたしが悪い。親は悪くない。しかしそもそも、ろくでなしの育てにくい子どもに育ったのは、いがみ合う親を見て育ったからじゃないのか。それならわたしは悪くない。親が悪い。

 厄介なのはこれが証明しようのない鶏卵の問題だということ。本来の鶏卵の問題は、最初にあったのは鶏に決まっているけれども、わたしと両親の件はどうにも決まらない。子どものころのことなんてはっきりと覚えてない。ろくでなしになったのは、わたしが先か親が先かなんてもうだれにもわからない。両親は都合の悪い記憶を書き換えて本気で信じられる人間なので、信用できない。かといって自分は覚えてない。どうしようもない。ないから、行ったり来たりするしかない。

 そんでもって、どっちにしてもわたしは救われないというのが終わっている。救われない原因が自業自得なのか理不尽に降りかかった災難なのかというちがいでしかない。親が全面的に悪くたって、いまさらつぐなってもらいようがないしそんなことはしてくれないひとたちだし、わたしが全面的に悪くたって、いまさらつぐないようがないしどうしようもない。

 

 あと、この件について、わたしはどうしてもゼロかイチかという考えかたしかできないようだ、ということがわかった。たとえば、親に対して「あなたたちもよい環境で育ったわけじゃないし、あつかいにくい子どもだった。でもやりすぎたよね」、わたしに対して「親はたしかにやりすぎた。でもおまえも悪いことをしたよね」とかフィフティ・フィフティくらいに見られたら平穏なのかもしれない。でもそれができない。白黒思考というのか、どっちかが一方的に悪いのでないとわたしは受け入れられないようだ。理由はよくわからない。

 自業自得にせよ、災難にせよ、わたしの子ども時代はとても苦しかったから、フィフティ・フィフティのぬるいジャッジで片付けたくないのかもしれない。自分でも親でも、責められるなにかがほしいのかも。でも、それで苦しんでるのが自分なんだから、ばかだよなあ。

昔の話「過去得られなかったものを現在に求めるな」

 フラッシュバックがひどい。

 メンヘラはフラバフラバっていうけどフラバってどんなかんじやねんと思うひとのために説明すると、「ある刺激によって過去のできごとが想起させられ、そのときの感情をよみがえらせてしまうこと」がフラッシュバックらしい。これはとくに引用とかではないわたしなりのまとめなのでまあ話半分に受け取ってほしいけれども。これ、いいことを思い出してそのときの感情がよみがえる……とかだったらイイハナシダナーで終わるのだけれども、だいたい最悪の記憶を思い出して、最悪の感情がよみがえる。人生ままならないね。

 

 わたしの場合は父とか母とか家族とか、そういう言葉でフラッシュバックが起きがちなので、父の日、母の日、家族イベントなんかがだめなんだけれども、そうすると世界はもう地獄でいっそ殺せみたいな感じになる。フラッシュバックを起こさないためには引きこもっているしかない。でも引きこもっていてもトリガーが謎なままフラッシュバックは起こるんだよなあ。ほんとうに謎です。やめてください。

 

 フラッシュバックをきっかけに忘れてたことや気に留めてなかったこと、というか気に留めていないと思っていたことを思い出すこともあって、それについて考えたりもして、また落ち込んだりもするんだけれども。なんの話だ。まあいいや。

 

 このあいだ、わけのわからないぐちゃぐちゃの夢を見て、そのなかに父母が出てきて、起きたときに最悪の気分で、昔のことを思い出した。

 ひとつは、父が子どものころ、母親(わたしにとっては祖母)が働いていたので日常的に家を空けていて、それがイヤだったから、働いていた母に対し結婚を機に専業主婦になるよう求めたこと。あともうひとつは、母が子どものころ、妻を亡くした父親(わたしにとっては祖父)と、父親の後妻と、その子ども、そして母という家庭で、自分の家族が欲しいと望んで父と結婚したこと。

 はたから見ると父母の願いはかなったようにみえる。でもダメだった。なぜかといえば、おそらく、父と母は「母親が家を空けない家庭」、「自分の家族といえる家庭」に、その家庭の子どもとして存在したかったからだ。父親として、母親として、そういう家庭をつくっていく、それを自分たちの子どもにあたえるというのはたぶん、彼らの願いではなかった。

 なので当然のごとく破綻した。なにが当然って、子ども目線での理想の家庭を、子どものまま、父親・母親の立場でつくろうとすればそれは破綻するに決まっている。父親と母親の子どもは父親や母親の子どものころとイコールではないし、父親・母親にはそれぞれ伴侶がいる。人物も違えば環境もまるで違うのに、そもそも実現したことがない理想の家庭でしかないのに、それこそが至高だと考えているんだから、うまくいくはずがない。しかも、ひとつの家庭にふたつの理想を持ち込んでいる。無理無理。

 

 これは教訓と受け止めるべきかもしれない。過去得られなかったものを現在に求めるな。子どものころ抱いたあまったるいあこがれをひとに押し付けるな。わたしの場合は、子どものころ得られなかった健全な親の愛をほかのだれかから受け取れると思うな、ってところだろうか。まあ、そんなもの、もうだれにも期待していないけれども、自分でそう思っているだけでじつは期待しているかもしれないので、自戒しておくべきだろう。

 

 新年早々(といってももう10日だけど)破綻した記事だ。うつでなまぽを今年もよろしく。今年はなまぽを脱したいなと思っているけどまったくめどが立たない。泣きたくなるほど未来が見えない。というか泣いたわ。なのでまあ今年の目標は死なないことです。

こもごも「マクラメあみ・はしご 自分用メモ」

 マクラメあみをやっているんだけど、頻繁に編みかたをまちがえるので、いろんなサイトで勉強させてもらった内容を、自分用に写真付きで記録を残しておく。

 

 つかう道具は

  • 芯糸(ワックスコード)
  • 編み糸(刺繍糸)
  • バインダー
  • クリップ(2個)

 というかんじ。バインダーはべつにてきとうな板でもいい。ただある程度丈夫でないと使いにくい。見ていけばわかるけど、下敷きとかではたぶん無理。真剣にやるひとはコルクボードにピンを刺してやるようだが、わたしはそう真剣でないのでこんなもんで。

 ふつうマクラメあみはすべて蝋引きの紐でやるらしいのだけど、練習中なので蝋引きの紐、ワックスコードは芯紐のみ。編み糸は刺繍糸でやっている。どっちも百均の。これがすごい。力いっぱい引っ張るとなんとちぎれる。わたしがゴリラなのか。

 

 梯子あみから。何とか結びとかあみとかいうのをくりかえしてやっていくんだけど、なんていうのか忘れた。

 まず準備。芯になるワックスコードを2本、バインダーに1cmくらいあいだをあけてならべ、クリップで固定。画像では見えないけど下も固定している。なんで芯紐、張ってるのとぴょろんてしてるの2本あるのんと思われるだろうが、これはまあ説明が複雑になるので気にしないでほしい。作りたいものがあるので、ちょっと先っちょをたたんでいる。でも、これまで説明できないから、とりあえず張ってる芯紐もぴょろんとしてる芯紐もセットで1本、それが2本あるものと思ってほしい。

 そして横にあるのは編み紐になる刺繍糸。

f:id:mianie:20181218112020j:plain

 で、編んでいく。まず、編み紐の片方を、左側の芯紐の上に左から右へわたし、来るっと戻ってまた左の芯紐の上に右から左へわたす。

f:id:mianie:20181218112428j:plain

 

 つぎに、左にわたした編み紐を、左の芯糸の下を左から右へくぐらせ、さらに右にある編み紐の上へ通す。

f:id:mianie:20181218112602j:plain

 

 左の芯紐をうまい具合に左下に引っ張りながら、編み紐を右上にむかって引き締める。

f:id:mianie:20181218112913j:plain

 

 お次は編み紐を、左の芯糸の下を右から左にくぐらせる。右側にわっかができる。

f:id:mianie:20181218113048j:plain

 

 編み糸を左の芯糸の上に通してから、さっき右側にできていた(この画像では左側に移動してるけれども)わっかにくぐらせる。

f:id:mianie:20181218113439j:plain

 

 ぎゅうう~と引き締めます。見えにくいけど、2本の糸をむすんだ結びめが見えるだろうか。この結びめがなかったり、2本むすべていなかったりしたら、どこかで間違えているのでぎゅうう~とやらずにほどいてやりなおし。

 これで一目。

f:id:mianie:20181218113821j:plain

 

 右側をやっていく。梯子あみは線対称に作業をしていくことになるので、うっかり左のやり方で右をやったり、右のやり方で左をやったりすることのないよう気を付ける。

 このように、左側とは逆に編み糸をわたす。

f:id:mianie:20181218114254j:plain

 

 ここもさっきと逆。芯糸をくぐって編み糸を超えて内側へとおぼえるのがいいのかもしれない。

f:id:mianie:20181218114706j:plain

 

 引き締め。

f:id:mianie:20181218114920j:plain

 

 芯紐の下をくぐって、内側から外側へ。わっかができる。

f:id:mianie:20181218115005j:plain

 

 芯糸の上を通って外側から内側へ、わっかをくぐる。この次とるの忘れたけどまあまた引き締め。結びめができているかたしかめ。できていたらぎゅうう~と引き締め、できていなかったらほどく。

f:id:mianie:20181218115106j:plain


 1時間くらい繰り返すと……

f:id:mianie:20181218115358j:plain

 りっぱな梯子あみに。

 

 最初に先っちょをたたんでつくっておいた通し穴に芯糸を通して、こんなふうになにかを包むこともできたりする。

f:id:mianie:20181218115501j:plain

 

 とりあえず梯子あみはこのようなかんじ。指先をつかうと脳が活性化されるっていうし……っていうセルフ作業療法。効果があるのかは知らない。

 わたしができるのはこれと平あみだけなんだけれども、まあ画像をいっぱいつかいすぎてつかれたので、きょうはここまで。ちなみにあみ、あみ、ってひらがなにしているのはうっかり検索に引っかからないようにだぞ……間違っているかもしれない内容だから。参考にしないで。説明口調ではあるけど、自分用だから。

こもごも「ハンドクラフト、いわゆる手仕事」

 近ごろ気分が落ち着かないとか落ち込むとかいう症状がぼろぼろ出てくるので、手仕事をしている。まえはこういうとき本を読んでいたんだけれども、そういう気分でもないのだった。なぜか知らんけど。

 

 とりあえず家にあった材料(刺繍糸と紐)でマクラメ編みをしてみたり、100均で売っている「ニットが簡単に編める」みたいなやつで無意味に家にあった毛糸を編んだりしている。いまのところ。指さきを酷使するのでヒリヒリするほかはまあ気分は悪くはない。いちおう作品といえるようなものもできた。姪と甥にでもやろうと思う。大した出来ではない。よって写真はない。

 

 マクラメ編みはけっこう奥がふかく、まだ入り口をちょろちょろしているだけだけれども、とりあえず平編みと包み編み用の梯子編み? はなんとなくできるようになった。自分用メモのために、まちがっているかもしれない編み方を記事にするかもしれない。そのうち。

うつ「やらかしたことと正式に精神障害者となったこと」

 おまえどうしたみたいなテンションの記事を書いて一か月放置とかどうかと思う。

 

 まあそれはおいておくとして、やらかした。めっちゃやらかしました。なにをやらかしたかというと自傷。たいした傷にはなってないけど自分でもこんなことするんだなーと言うおどろきの体験。姉が昔やっていて、「うっわキモッ」と思っていたしくちに出しても言っていたからね、当時のわたしよ、おまえも十年後くらいにやらかすぞ。

 手首とかじゃなくて手のひらを切りました。包丁で。いい年してなにやってんだおまえ。でもやっちまったもんはしかたねえ。

 

 しかし、やっちまったもんはしかたねえとしても、ヤバいのはなんかそれが楽しかったことなんだよね。酒が入っていたこともあるかもしれない。ストロングチューハイロング二本あけていました。これもやらかしですな。やらかしてばかりじゃないか。酒を飲むから……という理由でその日は薬を飲まなかった。そんな変なとこだけしっかりしていてどうする。

 楽しかった、楽しかったというか、わたしはもともと出血に高揚してしまう人間なんだよね、子どものころから。わー血が出てるーってなってしまう。とくに自分の出血に対して高揚する。理由は知りません。中二病かな?

 あと、なんていうか、自助会結局行かなくなったんです。合わなくて。それで薬も効かないし、主治医が「ひとと会う機会があれば」って言うから、それを誇大解釈してネットのオフ会に無理やり参加したりとかして、それでもやっぱりうまくいかなくて、ものすごくあー自分ってだめだ、なにもできない、苦しいって気持ちがありましてね。主治医にすら申しわけなく感じてしまう。もうなにもかもに申しわけない。きっとこんな自分は失望されてると思うと、診察でもうまく話せなくて、どーでもいいことをしゃべってしまう。それであとからあのことを言いたかったのにとかグルグルグルグルしてしまう。

 そのなかで、やけになって酒を飲んで、手をすぱすぱ切って、血が出て、痛くて、ある意味感動したんだよ。この痛みはわたしが自分で自分にあたえたものだ! わたしはわたしの苦痛を制御している! みたいな気分になった。それと、精神のどうしようもない苦しみ、もどかしさに、肉体の痛みが加わることで、なんというのか、精神の苦しみが具現化されて昇華していくような錯覚をおぼえた。錯覚。たぶん錯覚。血が出ると達成感があった。

 

 そのことをまだ後悔できないんだよね。またやってしまうんじゃないかなあと思う。ので、つぎの定期受診のまえにちょっと主治医に相談する時間を取ってもらいました。さすがにうつでなまぽでアスペでPTSDリストカッターとかヤバい方向に進みすぎてる、いい年してなにやってんだという気持ちもあるので、なるべくもうやらない方向でいきたい。行きたい。生きたい? 逝きたい? 往きたい?

 

 そして精神障害者福祉手帳を受領しました。三級。まあ妥当な級。運賃とかがいろいろ半額になるみたいだけれどもあんまり公共交通機関つかわないのよね。まあこれはたぶん障害者雇用のために活用していくことになるでしょう。思ったより小さかった、手帳。手のひらサイズ。かわいいね!