うつでなまぽ

うつ病でPTSDでアスペで生活保護受給中の生きものがいろいろ書きます。

社会「子どもの人権110番に電話した」

 法務局でフリーダイヤルだったのと、いままで気になること(二つ隣の部屋の子どもたちのこと)は児童相談所にかけてたんだけど、なんか職員が保護した少女に対してわいせつ行為をくりかえしはたらいていた(職員は否認)、相談された別の職員は少女におおごとにしたくないと言われて警察に通報しなかった、少女の通っている学校で相談された養護教諭が通報して発覚、ということがあったらしくてさ。

 もしかしたら、少女の偽証かもしんないというのはある。虐待されてた子どもがじっさいそういうふうに嘘をついて、気を引こうとすることはありえるから。ただ、事実である可能性ももちろん否定できないし、偽証だったとしても、相談された職員が警察に通報していないのがな。隠蔽じゃんか。少女に、おおごとにしたくないと言われたなんていいわけじゃん。

 もし、善意の通報者や、虐待者がみずから反省してとかで、保護されて、この結果なら、もうこの世に救いはねえよ。

 

 というわけでほかのところの児童相談所はともかく、いま住んでいるところの児童相談所に相談してええんかよみたいな気分になったので、まあ行きつく先は結局変わらないのかもしれないけど? こっちに相談した。

 

 昨日あったのは、夜の九時ごろ小中学生くらいの女の子が自分の家のドアを叩いたりノブをガチャガチャしているが入れないという状況。音がしたのでなにかと思って見に行ったらその状態。着てるのはパジャマみたいなワンピースでたぶん外出用の服じゃない。

 声をかけてもうなずいたりするだけ。声掛け内容は「大丈夫?」「困ってることはないですか?」、顔は知ってるけど挨拶くらいしかしたことないのでこっちを見る顔はこわばっている。いったん引っ込む。

 しばらく音はしない。

 三十分くらいあと、また見てみる。まだいる。こっちを警戒している。とりあえず「困ったことがあったらここのインターフォンを鳴らしてくれていいから」とだけ言って退散。

 夜十一時ごろに覗いたらいなくなっていた。

 

 というわけでこんな状況なんですけどどげんせばよかとかということをきくため、電話。フリーダイヤルだった。出たのは年配のおじさん。児童相談所は若いお姉さんだったなあなどと思いながら状況説明。このひとあんまり電話の受け答えうまくないなと思った。なんとなく威圧感があった。けれどもまあそれは警察に通報してくれてよかった案件だということを教えてくれました。あと心配されて大変でしたね~ということを何度も言われた。電話はうまくないがいいおじさんだった。

 児童相談所に相談するの↑の事情でこわくてよみたいなことを言おうと思ったら途中で遮られる感じで児童相談所は夜動けないから警察がいいよと言われる。やっぱりこのひと電話うまくないな。ちなみにうちの地域ではなんかの講習を受けた一般のひとがやってる子ども委員? みたいなのがいて、通報があったら夜でもすぐ駆けつけて状況を確認するというのがあるんだけど知らんのかな。お役所は縦割り、はっきりわかんだね。

 とりあえず次そういうことを見かけたら通報するようにしますということで相談終わり。

 切ってから、何度か児童相談所に相談したことがある家なんだということを伝え忘れたぜと思った。そのあたりも含めたらなんかあったかもしれんというか児童相談所にも情報提供しておいたほうがいいんだろうか。もうよくわからんよわしは。自分の人生でさえままなっていないのに他人の人生のままならない人生のためになんかできるわけがないんだが。でもあの年頃のころ、同じことされてたなーとか思ってしまうよね。あんなに小さかったんだなーといまさらながらに驚いた。幼さというのはある意味成熟の欠落であって、欠落は自覚しにくいんだろうな。子どもじゃないもう大人だと思っていたわけじゃないが、こういう扱いをされるべきではない、哀れなほど弱くて小さい存在だという自覚なんかなかった。人権意識がなかったというのかな。日本人って人権意識ないよね。義務と権利はセットじゃないけどセットと思われてたりとか、自他の人権侵害に鈍感だし、警察案件なのにそれぞれの家庭の事情だからね! みたいに子どもの人権など考えやしないんだ。

 あのあとあの子は家に入れたのか、それともあきらめてどこかへ行ってしまったんだろうか。後者を選んで強姦未遂にあったことがあるから、やっぱり通報すべきだったな。いまさらおそい。そればっかりだよ。

こもごも「生きてる生きてる」

なんか書いたあと死んでそうな記事を放置するのはさすがにと思って新しくこの記事を書いているわけですけれども書くことがないのです。困りましたね。最近はたくさんアイスを食べています。砂糖はうつによくないとかマジかーそうなのかーと思いつつMOWと牧場しぼりとパルムをヘビーローテーションです。パルムのブロンドショコラとバナーヌショコラが終売したようなのが残念です。抹茶チーズケーキはまだ販売中なのかもしれないですが、いかんせん近所のスーパーに売っていません。普通のパルムしかないのです。哀しいですね。それに対し、MOW、牧場しぼりは期間限定で紅茶味のものを販売していて喜ばしい限りです。紅茶味は好きなんです。紅茶も好きですけど、紅茶味、ミルクティ味のものはもっと好きです。冷凍庫にたくさん買い込みました。アイスばっかり食べるのはもちろん体に悪いので、ディアナチュラのアミノマルチビタミン&ミネラルを飲んでます。レトルトパックの魚の煮物と、同じようにレトルトパックの大豆を蒸したものも食べます。たまに。たんぱく質は重要ですから。混ぜて食べると本当に生ごみみたいな見た目で豚のエサみたいなんですけれども、栄養不足による肌荒れや、口内炎などは、痛いですし、不愉快なので、できるだけ避けるようにしたいのです。病院はおちびさんに任せています。おちびさんは主治医の先生がこわいようですけど、頑張るらしいです。彼女はおちびさんではあるけれどもいちばんの古株なので、適任でしょう。主治医の先生にぼくらのことを説明するのに、みんな同じ名前ではわかりにくいというので、あだ名を考えました。おちびさんが。まにまは「きっきさん」、ぼくは「嘘つき」、手を切りたがるのは「泣き虫」、ずっと外に出してないのは「泥棒」と「怒りんぼ」、みんなと仲が悪いのが「仕切り屋」。おちびさん用のあだ名なので、おちびさん自身のはなかったんですけど、勝手にぼくが付けました。つまりぼくは嘘つきなので、この記事はあんまり信用性がなくなりましたね。でも、更新しているからには、生きているのは確かです。この体は。「きっきさん」はちょっと、天岩戸にお隠れになってるんだけれど、だれか裸踊りでもすれば出てくるのかな。まあ成り行き任せです。どうにかなるでしょうし、ならなければ死ぬだけです。いつだってそうでした。子どものときから。

ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ

 ぐちゃぐちゃになってしまった。

 以前書いた甥のことを主治医に話したんです。虐待されているように思えると、その姿を見ているとつらい、見ているくらいなら死んでしまいたいと、そう言ったら、主治医は、「そうしたら、あなたがいなくなることで、甥っ子さんは逃げ場所を失うね、かわいそうだね」って言ったのです。それが消化できなくてずっと苦しい。ぼくはぼくのことだけで精いっぱいで、精いっぱいどころか、もう、自分のことすらよくわからないし、管理できていないし、ギリギリなので、どんなに好きでも、どんなに好かれていても、頼られていても、甥っ子のことまでは背負えないんです。おとななのにごめんなさい。許してください。苦しい。

 死ぬことがどうしていけないのかわからないです。だれかが哀しむから、苦しくても生きなければだめですか。だれかを哀しませないために、どんなに苦しくても生きなければだめですか。よくわかりません。ぼくは幸福です。死ぬことなくここまで生きてきました。お金に困ったら生活保護を頼ることができました。どん底の貧乏なんか味わったこともない。ぼくはほんとうに幸せです。なのになんでこんなに苦しくてつらいと感じているのかわかりません。なんでいろんなことがちゃんとできないのかわかりません。なにもわからないし、ただ苦しいです。死んではいけないんだと思うほど、苦しいです。逃げ道をふさがれてどこへも行けないです。ぼくにはお金があります、ちゃんとあります、来月の一日にはまた生活保護費が振り込まれるし、屋根のある家に住んでいて、ベッドもあって、パソコンもインターネットも食料もあります。この世界で、こういう環境を手にできずに飢えて死ぬひとたちがどれだけいることでしょう。両親は大学教育まで受けさせてくれました。高校と大学は私立でした。三姉妹のなかで、いちばん学費がかかったのがぼくだと思います。ぜいたくをさせてもらったんです。なんでこんなに恵まれているのに、ぼくは両親を憎まずにいられないんでしょうか。どうして感謝の気持ちをもっと持てないんでしょうか。もっとましな人間になれないんでしょうか。

 ぼくは幸福で、ぼくの幸福は無駄です。だれもたすけられない、大勢のひとに助けられていまの生活があります、なのに、死にたがってるんです、消えてしまいたい、主治医に言われたことが頭から離れないんです。ぼくが死ぬことは甥を見限ることなんです。かかわらなければよかったとか、そんなことを思うのはひどいことです。そもそも、甥は虐待なんかされてないのかもしれない、すべてぼくの邪推かもしれない、自分がつらかったころに似ているから、自分をかさねているだけかもしれない、でもぜんぶわかりません。なにもかもわからないんです。最近はずっと寝てます。なにも考えたくないんです。ほかのひとたちがいろんなことを話しあっています。いちばん小さい子が慰めてくれます。忘れてたけど、ないがしろにしていたけど、ずっといっしょにいてくれた子です。いっしょにいてくれただけじゃなくて、ぼくがスイッチを切って意識を浮かべるときに、ぼくのかわりに殴られてくれた子です。ほかのひとたちもみんなそう。みんなつらいときにぼくを助けてくれてました。忘れていました。ずっとずっといっしょだったのに。眠ってるあいだ、ぼくは赤ん坊みたいに小さくなってます。助けてほしいんです。でもぼくがそうであるように、みんなだっていろんな事情があって、だれかを助けられるような余裕があるひとはきっといないんだと思います。みんな無理なんです。主治医に会いたくありません。話せる気がしないんです。ただ時間いっぱいつかってずっと泣いていそうです。いい先生なんです。話をたくさん聞いてくれます。いい先生なんです。どうしたらいいのかわかりません。先生が悪いんじゃないんです。ぼくが悪いのはわかってるんです。つぎの受診がこわくてたまらない、今週こそ行かなきゃって思いながら、ほかのひとたちに肩代わりしてもらってしまいます。受診の意味がない、病気なのはぼくなんだから、ぼくが受診しなきゃいけないんです。だれに代わってもらってもだめなのはわかってるのに、このあいだは絶対に行くって決めてたのに、先生がぼくを呼ぶ声がしたら、もうだめでした、逃げたんです。無理なんです。こわいんです。これ以上ぼくのせいでなにか悪いことが起きることに耐えられない、もう嫌なんです。全部が嫌です。なにもかもが最悪、こんなに恵まれているのに、幸せなのに、どうしてなのかほんとうにぜんぜんわかりません。ぐちゃぐちゃなんです。もう嫌だ、嫌だ、嫌だから、もう寝ます。ずっと寝ておきます。きっとぼくがいないほうがほかの人たちのほうがうまくやってくれるはずです。ごめんなさい。ごめんなさい。すみません。さようなら。さようなら。

治療「オランザピンがいつの間にか復活した」

 処方薬にオランザピンが復活した。いつの間にか。というか最近どうもおかしくて、まあいろいろあって、記憶がアレなので、まあ、まあ。

 最近はあまりまともに食べられていないんだけれども、オランザピンのおかげか、体重がもとにもどった。いまのところプラマイゼロ。しかし、こういう太りかたっていうのはいいんだろうか。健全なのか。健全な太りかたとはなにか。わからんね。

 

 いまはイフェクサーランドセン、フィコンパとオランザピンに漢方薬を飲んでいる。主治医はなんか減らせないかなと言っているけれどもよくわからん。不安な気持ちは消えない。

 安心できる時間が、ところが、あればいいんだけど、と主治医はくりかえし言うけれども、そんな時間も場所も、ものごころついたときからなかった。わたしはいつでも家庭で異物ある自分から逃げられなかった。学校に行くことで、家から離れることで、なにかに熱中することで、現実逃避はできる。でもそれはとても労力がいる。楽しむことにはエネルギーがいると思う。エネルギーをつかうことと、安心するということは、たぶん相反しているのではないかと考える。エネルギーをつかわずに、無防備でいられるとき、ところ、想像もつかない。

 甘ったれているんだ。という声がどっかからする。このままでいるのが楽だから。働かなくていいから。そうしなくても食っていけるから、病気のふりをつづけてるんだ。親のせいだとか、他人のせいにして、安楽をむさぼっているだけだ。安心できないというのも、そうでなければ病気ではないから、自分からそう急き立てているんだ。つまり、自作自演なんだと。

 わたしはそもそも自分がうつ病だということが、あるいはPTSDだということが、ほんとうなのかどうかもよくわからない。ふたりの医師にはそう診断された。でもそれは検査結果とかじゃなく、単なる診察の結果によるものだ。単に、それっぽい症状を訴えるからうつ病だと言われているだけだ。

 光トポグラフィー検査というのがあって、それをつかうと、ある程度うつ病であるかないかの可能性をみきわめることができるらしい。ぜひ受けてみたいものだが、でも、うけたところでなんなんだろうな。うつ病じゃないから、通院はもう打ち切って、働き始めましょうとなるだろうか。よくわからない。現状の苦しさとかが病気じゃなくてただの性格によるものならば、治療などさっさと打ち切って、就労をめざすべきだろう。しかし、病気じゃなくて、性格なのだったら、もう治る見込みなどないのだし、無理に社会に入っていって他人に迷惑をかけるより、なにより、死んでしまったほうが正解のような気もする。

 かといって、病気だとはっきりわかったとして、なんなんだというのもある。病気だけど、薬を飲んでも治らない。悪化している部分もある。仮になおったとしてもそれは寛解であって、再発率は高い。死んでしまうほうが正解ではないか。

 

 なんだかよくわからない。あとこのブログでかくしごとをするのはめんどうなので言ってしまうと、解離性同一障害のような症状が出ているらしいことがわかった。これについても懐疑的だ。昔からあった症状ではある。いつの間にか飛ぶ時間とか、だれかがいるような感覚とか、自分のからだが動くのをただ見ている感覚だとか。でも、そういうのは気持ち悪いって、病気のふりをするなって、そういわれたからやめたんだ。やめたというか……なんといえばいいんだろう、彼らのちからを借りずに生きようとしたんだ。でも最近はどうもだめだ。通院を4回、二か月分、彼らに肩代わりしてもらっている。わたしの無意識の演技なんじゃないかと思うことがある。よくわからない。なにもかもよくわからないし、とにかくよくわからない。わたし自身も、ほんとうは分裂した人格のひとつなのかもしれない。あるわたしは父母を愛していて、あるわたしは父母を憎んでいる。あるわたしはわたしに甘えてきて、あるわたしは嘘をつくためにいる。すべてわたしの名前を名乗る。これはわたしが命令したことだ。彼らは忠実に守っている。よくわからない。どんどん悪い方向に向かっている気がする。だれのせいでもない、わたしのせいで。

社会「被虐待児の成れの果て つづき」

 ずっと前に書いた記事だけども。

mianie.hateblo.jp

 その後、裁判がはじまり、わたしでもいろいろとネットで情報がわかるようになったので、思うところを書いてみたい。

 

 まず、被害児は母親に愛されていたのだな、と思った。むろんこれを否定するむきもあると思う。”ほんとう”に、こころから、子どもを愛していたなら、命をかけてでも被害児を死なせることなどなかった”はず”だと。しかし、それは健全な強者の理論だ。弱者を圧殺する、有害な考えだ。その理論こそが、被害児を死なせることになる。

www.huffingtonpost.jp

 ハフィントンポストがまとめているこの裁判記録をみるとわかるが、被告となっている母親はあきらかに弱い人間であり、それに対して強い自責の念を持っている。また、主犯の父親からのすさまじい精神的な圧迫があるのがわかる。母親のことばを読んでいて、わたしは、子どものころを思い出した。わたしの父も、この父親のような人間だった。おまえは無知で無力でかぎりなく愚かなのだと信じこませようとする。

 わたしは幸い、皮肉にも、父ゆずりの知性と、おそらくは父ゆずりのアスペルガーという特性があったから、父が幼稚にも、「おれにすべての関心をむけて、おれにひざまずいて感謝しながら生きろ」と要求しているのがわかった。だから反発し、反抗した。支配されることなく生きのびて、逃げ出した。

 けれども、この母親の場合は、支配に取り込まれてしまった。この母親がわたしより弱かったのかもしれないし、親子と夫婦という関係性のちがいかもしれないし、性格のちがいかもしれない。しかし、理由がどれであったとしても、取り込まれてしまった母親が悪いということはない。なにかの悪い歯車が、運悪く、噛みあってしまったのだろう。

 

 こういう、弱く、虐げられて、どうしていいかわからなくなっている保護者を見つけ、救い、守るという考え、しくみがないのなら、被害児は絶対に助けられない。母親はあきらかにDVを受けているが、自覚がないから訴えられなかった。話している内容から、解離のような症状がみられる。わたしも経験があるからわかる。いつの間にか時間がたったり、目のまえのことが現実のように感じられなくなったり、覚えているはずのことをまったく思い出せなかったりする。それくらい、母親は追い詰められていた。

 

 検察側は母親を、娘よりも夫を選んだだけとして、懲役十一年を求刑しているという。絶望的な見解だと感じる。ネットをみてみると、これでも短い、一生塀のなかにいろ、死刑でいいじゃないか、という意見がたくさんある。なんて刹那的な、快楽主義的な反応だろうか。圧倒的に正しい立場から、圧倒的に悪いとされる存在を断罪して、自分が正義を執行したかのように誤認する。検察側の言い分が採用されるなら、被害児の苦痛も死も、ただ正義の快感を得るためのものとして消費されて、終わる。なんの教訓も残らない。またほかの虐待死事件が起こり、埋もれていくだろう。

 

 ゆるせない、ゆるせない、そんな言葉ばっかりがネットにあふれているが、弱く、子どもすら守れない親というのを受容できない社会であるかぎり、弱い親たちは声をあげて助けを求めることなく、自分や子どもが配偶者や、自分たちを支配する強力なだれかに壊され、ゆがめられていくのを、ただ黙って受け入れるほうを選び続けるだろう。その過程で弱い子どもは死に、死にそびれた子どもが、からだだけ大人になって、他者を支配したがる人間につかまる。もしくは、「ふつう」をもとめて無理やりに結婚する。そうやってつづいていくんだろう。

 

 世間はこのサイクルを、自覚しないまま望んで、実現している。

 きっとまた親が殺す。子どもが死ぬ。よかったね、また、かわいそうって正しい涙を流して、許せないって正しい感情で、厳罰をって正義を求めることができるじゃないか。

昔の話「父方の祖父たちの話」

 なんとなく思い出したので書く。

 

叔父の話

 父親の家族構成は、祖父、祖母、叔父(わたしから見て)。つまるところ父親には弟がいる。顔はあまり似ていない。祖父はなかなかの男前なのだが、祖母はまあ不美人で、父親は祖父強めの祖母ミックス、叔父は祖母強め、みたいな顔をしている。性格はまあ似ている。が、外面はあまり似ていない。というか叔父の外面は見たことがない気がする。

 

 この叔父は結婚していないのだが、結婚しないというよりできないタイプなんだろうな、と幼心に思っていた。なんか鬱陶しいからだ。父親に通ずるところがあるのだが、自分がおもしろいと思っていることをウケていないのに繰り返す。延々と。

 波田陽区の「残念! なんとか斬り!」とかいうギャグが流行っていたころに、正月のあいさつに祖父宅を訪ねたら(叔父は祖父祖母と同居している)、ほんの30分くらいのあいだに10回くらいそれを繰り返していた。だれも反応せず、だれもおもしろがることもないのに。

 そのときの年齢を覚えていないが、「お父さん、うるさいって言ってくれないかな」と思っていたような気がする。祖父は孫に金をかけてはくれたが、強烈な男尊女卑者なので、男がやることに女がくちをだすと不機嫌になるのだ。ちなみにめっちゃ右翼的考えの持ち主でいまだに中国をシナというし韓国を朝鮮とひとくくりにするし三国人とか言う。太平洋戦争時にはまだ学童で、勤労奉仕くらいしかしていなかったはずなのだが。教育ってこわいね。

 

 わたしが中学生くらいのときだったろうか、叔父が結婚するという話が出た。なんかよくわからんがなんかわからん女性と知り合ってなんかよくわからんが結婚するらしいということを祖父が父親に連絡してきたのだ。意味がわからん。意味がわからんので父親は祖父宅を訪ねることにした。理由は忘れたが、なんかの用事のついでだったのか? わたしもついていった。

 父親が祖父に話をきくと、「叔父が結婚する」、「結婚相手の母親は病気らしい」、「金をいくらか貸してる」、「会わせろというが先方が会いたくないそうで、顔を合わせたことはない」ということを説明しだした。

 詐欺以外のなに?

 わたしはマジかよ正気か? と思いながら話を聞き、父親は「いやそれはおかしい」とひたすらに説得していた。叔父はたぶん父親が来てなんやかや言われるのをきらってどっかへ出かけていた。

 父親は常識的な説得を試みていたが、祖父は四十をすぎた息子がやっと結婚するということにかなり期待をかけているようで、聞く耳をもたない。ついでにいうと父親はかなりのファザコンなので、あまり祖父に強くものを言えていない。さらにいうと祖母は奇人のたぐいで、とくになにかにかかわったりはしないし、父親はこの祖母が大嫌いなのもあり、祖母があらゆることに無関心なのもあり、祖母はあらゆることに関係してこない。ちなみに孫はそこそこかわいがってくれる。

 あからさまに詐欺の事案を聞いただけで帰る車中、父親が助手席に座るわたしに「結婚するってのに親にも会わんっておかしいよな? 金までかりとるのに」とマジトーン言ってきた。中学生の娘に言うことじゃないだろと思いつつ、「どう考えても詐欺じゃん。おじいちゃん結局いくら貸したの、顔も知らん人によく貸せるよね」「わからん……〇〇(叔父の名前)と話さんことには……」とか言っていた。

 

 まあ結局この件はどうにもなることなく、当然詐欺で、叔父は結婚できず、金はかえってこず(何百万とか何千万単位)、父親はなにもできることはなかった。

 父方の男ども、父親をふくめて、無能。祖父は詐欺で大金を失うバカジジイ、叔父はあからさまな結婚詐欺に食いつくジジイ、家では暴君としてふるまっている父親は役立たずの無能ジジイだった。

 世間体(笑)とかなんとかあるので、たぶんこの件は警察には届け出ていないと思う。

 

祖父の話

 祖父があるとき突然言い出した。家を建て替えると。祖父宅は二階建ての一軒家でかなり古く、冬は寒い。なかなかレトロなつくりでわたしはその点だけは祖父宅を気に入っていたのだが、住んでいる家主が立て替えるというんだから反対する理由も権利もない。ハイハイ立て替えるんですね、と受け入れた。いま思うと、もうちょっと二階を探検しておけばよかった。

 

 祖父はまた言った。立て替えて二世帯住宅にすると。二世帯ってなに? 一世帯は祖父祖母叔父? 叔父は世帯主? だったらもうすでに二世帯じゃない? ここんとこよくわからんが、とにかく、いっしょに住もうぜということだ。

 全員が嫌がった。

 ファザコンの父親さえ嫌がっていた。

 すでにマンションの一室ではあるが家はあり、3LDKでとくに不自由はないのだ。祖父宅の敷地は狭く、どう考えても居住領域はいま住んでいるところよりも狭くなる。車もすでに祖父、叔父の車で車庫はいっぱいなので、駐車場をあらたに借りなければいけない。というかすでに家があるんだよ家が。祖父宅と父親宅はおなじ市内ではあるがかなり離れているので、学校やらなんやらの問題も出てくる。いくつくらいのときだったか忘れたけれど、中学生だったら確実に転校だし、高校生だったら確実に遠くなる。唯一父親の勤務地だけが多少近くなりはするのだが、父親は公務員で異動が多いので、そのメリットもいつまでつづくかわからない。

 こういう現実問題のうえに、感情的な問題もあった。祖父とはたまに会う程度なら我慢できるが、毎日顔を合わせるとなるとうんざりするだろう。母親は、娘を生んだときに「なんだ、女か」と吐き捨てたという祖父を心底恨んで嫌っているので、耐えられないだろう。祖母は無害だからいい。叔父はなんかイヤだった。父親以外全員女という家庭で育ったので、気が合わないし仲良くもないがなれなれしい異性というのはちょっとどころではなくだいぶイヤだった。思春期をなめるな。

 

 こうして全員が難色を示し、父親が代表して「おれたちは絶対に引っ越さんし、建てても住まんから、建て替えるのはいいが二世帯住宅は無駄だからやめろ」と訴え続けたが、驚くべきことに、二世帯住宅は建った。クララが立った。ずっと座っていろ。

 二世帯住宅というと、ふつう、玄関が別で基本的に別個の家、みたいなのを想像すると思うが、祖父考案の二世帯住宅はちがった。敷地が狭かったので玄関を二つ用意できなかったのだ。よって玄関はひとつ。ふつうに一階と二階があって、ふつうの階段でつながっていて、一階にも二階にも風呂と台所とトイレと洗面台があるだけの、謎の二世帯住宅だった。

 ていうかこれ、ただの家じゃん?

 この設計を受けた建築会社とか、不思議に思わなかったんだろうか。もういっそ、ふつうの家でよくね? 台所とかふたつずつつくるの無駄じゃね? ただでさえ狭いのに、さらに狭くならね? これで二世帯が暮らすの、無理じゃね? そう思わなかったんだろうか。どうでもよかったんだろう。まあひとの家の事情だしな。

 ついでにいうと、部屋はびっくりするくらいひとつひとつの部屋が狭い2LDKだった。姉といっしょに二階へあがり、その狭さに「うわあ……」「うわ……」とドン引きしまくったのを覚えている。なんとなく、アンネ・フランクたちが隠れ暮らしたという『後ろの家』を思い出したが、さすがにそこまで狭くはなかった。

 

 できたからと言って、ファザコンの父親もさすがに引っ越そうとは言わなかった。祖父も引っ越してこいとは言わなかった。なんのために二世帯住宅は建ったのか、その意義はずっと謎だったが、「物置につかえるな」、とだいぶ経ってから父親が言い出したりして、じっさい、自分の趣味のものをときどき運び込んだり取り出したりしていた。あとになってから、盆や正月に祖父のきょうだいたちが来たりするときに、泊まる部屋になったらしいと聞いた。よかったネ。

 ちなみに、絶対に住まないからなと言い聞かせたとき、祖父は、「〇〇(叔父)が結婚したら住むから」みたいなことも言ったらしい。結婚したら謎の二世帯住宅で義両親と同居確定の四十代男性。叔父の結婚難易度が上がった気がした。

 

 

 父親はキチガイであるのだが、父親を実家に置くと、常識人になるのはなんとも不思議である。結局のところ、父親は、実家においても外面なのかもしれない。自分の家庭を得てようやく、自分の内面をさらけ出すことができたのかもしれない。そうだとしたら、父親はおそらく一生実家を出ることなく暮らすべきだったのだろう。

昔の話「生まれない自由がない」

 親は子どもをえらべないし、子どもは親をえらべない。一見平等だけれども、親は子どもの絶対的な支配者になれること、そして親には生まない自由があることを考えると、生まれない自由がない子どもはなんなのだ。

 

 昨今自己肯定感という言葉が世にあふれているけれども、自己肯定感のあるひとというのはたぶんこの生まれないことをえらべないという不自由に気づかず生きていけるひとだと思う。反抗期に「生んでくれって頼んだ覚えねえよ!」と反射的に言ったことはあるけど、まあ深くは考えていないような。

 それが自己肯定感だ。たぶん。知らんけど。

 

 子どものころ、母親は親切に、父方の祖父が男子をもとめていて、女児の出産に落胆していたことを教えてくれた。父親は言動で、おまえが男であったらよかったのにと示してくれた。そして母親と父親は、子ども心にさえ「このひとたちは結婚するべきではなかった」と思われるほどの、激しい相性の悪さを見せつけてくれた。暴力、愚痴、自殺未遂、離婚のほのめかし、「あんたたちがいるから離婚できないんだから」、繰り返し繰り返し。

 そのあいまの健全な家庭ごっこ。楽しくなくても楽しいふり、しあわせで愛された子どものふり。嘘は咎められるのにこういうときの嘘は受け入れられる。ふしぎ。

 こういう生活で生まれるのは自己否定感というやつだ。演じているから存在を許される。ご機嫌をうかがってやっと呼吸ができる。ふつうの人間のふりをして生きていられる。ひっくり返すとそうでなければ存在を許されないし呼吸はできないし生きていられないということ。

 

 この自己否定感をひっくり返すのはむずかしい。というかできるのかどうかわからない。少なくともわたしはできていない。子どものころからずっと父親と母親は結婚するべきではなかったと思っている。それはわたしが生まれるべきではなかったということとイコールだが、そのとおり。父親と母親が結婚することでしかわたしが生まれないのであれば、生まれるべきではなかったのだ。自己肯定感など育ちようがない。父親と母親が結婚してしまったことが、まずまちがいなのだから。

 

 だから、父親がわたしをいくら殴ってもしょうがない。母親がわたしをどれほどすり減らしてもしょうがない。生まれなければよかったのに、生まれてきてしまったんだから。父親も、母親も、生まれてくるべきではなかったのに生まれてきてしまったんだから。

 唯一の救いは、生まれない自由はなくても、死ぬ自由はあることだろうか。マンションの10階から地面を見下ろしている、小学生のわたしに言ってやりたい。おまえは正しい選択をしている。おびえるな。それでも泣くなら、わたしが投げ落としてやりたい。かわいそうだから。