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うつでなまぽ

うつでなまぽな生活です。

うつ「心臓を飼いならす」

 ウィンストン・チャーチルは、うつの発作について「黒い犬」と表現し、J・K・ローリングはみずからのうつ体験をもとに幸福を吸い取り絶望に変える「ディメンター」という怪物を作中に登場させたわけだけれども、それは自分のうつと距離を取るという意味で非常に効果的なこころみであったのではないか…などと思う。

 なんというか、うつのときの、不安、あせり、どうしようもない孤独感などを、自分と一体化させて考えていると、どうしても逃れようがない。やり過ごすといっても自分自身なのに、どうやって? という感じになってしまうだろう。

 だから、前述したふたりはふいに襲い来るものとして、飼いならしたり、撃退できるものとして自分のうつを擬人化…擬獣化? させたのだと思う。画期的だ。まねしたい。

 

 しかし、自分がどのようにうつを受け止めているかと考えたとき、ぱっと浮かんだのが「心臓」だった。心臓、からだのまんなかに不安やあせりのかたまりがあって、拍動ごとにせっせと全身へそれらをいきわたらせている。たまに、心臓を胸から取り出して断ち割れば、黒いどろどろがあふれだして、すっきりできるのではないか、などと考えたりする。これは希死念慮に入るのだろうか。

 心臓は、黒い犬やディメンターとちがって飼いならすことも撃退することもできないが、たぶん、この心臓をどうなだめ、どう付き合っていくかが己の人生の課題なのだろう。

こもごも「ふつうのひとになりたい」

 先日、友人たちと会う機会があった…というか、ありていにいうと友人の結婚式だった。

 披露宴は非常に豪華で、ごはんもおいしく、友人の結婚相手がとてもよいひとだろうことや、友人と会えたこともうれしく、なのにどうしてかうっすら哀しくなった。

 そのうっすらがすこしずつ積もっていって、結婚式の翌日になると、とにかく、涙が出てきてしようがなかった。

 しばらく、泣いて泣いて、ぐずぐずになりながら、理由がわかった。

 

 結婚式をするようなひとは、ふつうのひとだ。そこに出席するのも、またふつうのひとだ。そのふつうが死ぬほどうらやましかった。望まれて生まれて、愛し合う両親のもとで愛されて育って、ひとを愛するようになった。そういうプロセスを踏んだふつうのひとのことが、すごくうらやましくてものすごく哀しかったのだ。

 結婚というものじたいは、うらやましくなかった。それも哀しかった。結婚して、しあわせな家庭を築けると信じられない貧しい精神性の自分が非常に賤しく感じられた。だれかを真剣に好きになったこともないし、これからもそうならないだろうと思った。そんな自分がとても未熟で、救いようのない人間であるように感じた。

 

 ふつうに生まれて、ふつうに育って、ふつうに生きたかった。ふつうのひとにずっとなりたかった。子どものころ、父親に「おまえはひととは違う、特別って意味じゃないぞ、おまえは頭がおかしいんだ」って言われたときから、ずっとふつうになりたかった。

 でも、子どものころに言われたささいな言葉をいまだに心に傷みたいに持っていて、うつで、なまぽの自分は、もうふつうのひとにはなれそうもないので、とても哀しい。

 雨も降ってるし、今日はとても哀しい日だ。

こもごも「自衛隊体操をやってみたよ」

 ラジオ体操をやると、気分がやや明るくなることがわかった。からだを動かすことで、なんらかの作用があったのは、まちがいないだろう。

 ラジオ体操って偉大だな…などと思いつつ、ラジオ体操の由来などを調べてみようかとウィキペディアを見てみたところ、自衛隊体操なるものを見つけてしまった。なんじゃそら。

 ちょうどウィキペディアにページがあったので読んでみると、読んで字のごとし自衛隊でやっている体操らしい。ずいぶんとご大層じゃないか? しかも、自衛隊公式の参考動画がYouTubeにアップロードされている。

 これはやらねばなるまい。

 

www.youtube.com

 

 感想、ついていけない。

 ラジオ体操第一・第二がおよそ六分ちょっとで、自衛隊体操は五分足らずなのだけど、運動量は明らかに自衛隊体操が上。というか動きが複雑すぎる、ラジオ体操は基本ひとつの動きだけれども、自衛隊体操は基本ふたつの動きを組み合わせる、結果、ついていけない。

 しかしけっこうおもしろい動きが出てくるうえ、この自衛隊体操のお兄さんのしゃきしゃきした号令がけっこう気に入ったので、今後ラジオ体操ではなく自衛隊体操をやっていきたいと思う。

 ついていける範囲で。

うつ「経験を共有すべきかについて」

 主治医の先生から、自助グループに参加してみてはどうかというようなことを言われた。生きづらさを感じているひとびとがたがいに経験を話したりなんかいろいろして、なんとか生きづらさを解消しよう。というような感じの。

 

 知れば知るほど、自分に必要なことかもしれないと思う。いままで、子ども時代のいろいろなこと、つらかったことや苦しかったこと、自業自得でもあるけどしんどかったことを、だれにも話してこなかった。理由はいろいろある、とにかく、だれにも、話そうと思わなかった。

 話してどうにかなるわけじゃないし、話すことでなんというか、なんらかの配慮、行動なんかを求められていると思われるのがいやだった。「それで、それを話して、あなたはどうしてほしいの? どうなりたいの? どうしたいの?」と訊かれても、絶対答えられないし、そんなことなら、話さないほうがいいよな、と思っていた。どうしてほしいか、どうなりたいか、どうしたいか、どれもぜんぜんわからなかったこともある。

 

 あともうひとつ、だまって、だれにも知らせずに、自分だけのものにしておけば、自分の気持ちひとつで、なかったことにできるんじゃないかとたぶん考えていた。

 大学に進学するとき、地元で実家から通える大学にも合格したのに、無理やり他県の大学へ進学した。だれもなにも知らないところ、過去や家族を知らないところでなら、ぜんぜんちがう人間として生きていけるんじゃないかと思った。同じことを考えてるひとはけっこういると思う。別天地へ行って、だれも自分を知らないところでなら、っていうふうに。

 でもだめだった。友達や知り合ったひとに、必要なときにはいっしょうけんめい破綻しないようにうそをついた。ふつうじゃない家に育ったことを隠したかった。なかったことにしたかった。そうやってふつうの大学生になろうとしたけど、過去のことも家族のことも、友達が知らなくても、だれも知らなくても、自分が、いやになるほど知っていた。ので、失敗した。ぜんぜんちがう人間なんてなれっこなかった。

 

 それでも、いまでも、まだなんとかなるんじゃないか、過去を忘れて逃げ切って、気分良く、べつの人間として生きていけるんじゃないかと思っている。だから自助グループに行くことが必要だと思っていても、どうしても行けそうにない。他人に話して、共有してしまったら、過去が「じっさいにあったこと」になってしまう。いやおかしいよな。じっさいに「じっさいにあったこと」なのに。これは理屈じゃないんだ。

 

 こうして文章にしてしまうと、支離滅裂で、どうしようもない人間だということが浮き彫りになる。どうしようもない。どうしていいかわからないんじゃなくて、どうしていいかわかっているのにどうにもしない、したくないっていうんだから救いようがない。

こもごも「おためごかし」

 ラジオ体操をしたり、ひざを痛めたり、うつが悪化したり、かぎ針編みをはじめたり、いろいろあったけれども、文章を書くのがおっくうすぎるので、いままでとってきた写真をちょっと貼っておためごかしに記事を更新しようと思う。

 

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 みんな大好き・上野動物園ハシビロコウさんだ。いつもはじっとしているらしいが、このときはサービスなのか羽ばたいてくれた。

 

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 同じく上野動物園のなんとかペンギン。平和そうな顔をしている。

 

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 浅草寺のおみくじ。凶だった。まあもう一年もまえだけど、そのまえに引いたやつも凶だった。そういう人生なのか?

 

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 寒い日。ふくらすずめならぬふくらはと。どばとだ。

 

 わけのわからん写真群だが、以上。

 最近、格安スマホにこころひかれている。いまつかっているのはガラケーなのだけれども、格安スマホのほうが圧倒的に利用料が安いのよな。半額くらいになる。ここはブックオフとかでやっすいスマホを購入し、格安スマホに乗り換えるべきか。

 

 

こもごも「ラジオ体操をはじめたよ」

 きょうで四日目。ニコニコの動画をみながら第二までやっている。

 

www.nicovideo.jp

 

 やりはじめたきっかけは、外に出るとすぐ疲れてしまうのが、もしかするとうつの症状というだけではなく、体力が落ちているからでは…と感じたため。朝は七時ごろに起きているので、それからラジオ体操をして、ごはんを食べる。という流れ。

 アパートの上階に住んでいるので、ぴょんぴょん飛び跳ねる動きなんかはひざを大きく屈伸させることでごまかしている。

 効果のほどはまだわからないが、できるかぎりつづけていこうと思っている。あと、腹がたぷたぷしてきたので、腹筋運動もちょこっとしていこうかなと考えている。

 

 まだ、精神的に急降下して死にたくなることも多いし、外出にはMP3プレイヤーとマスクが欠かせないんだけど、だいぶ回復してきたように思う。

生活保護「自立支援医療(精神通院)」

 職員さんからたびたび言われるのは、「生活保護は他法優先の制度であって……」ということ。他法優先とは文字どおり、ほかの法律が優先するよということ。つまり、ほかの法律で援助してもらえるぶんはそちらで援助してもらって、足りないぶんを生活保護制度が支えるということ。

 

 それで、申請するよう言われたのが「自立支援医療(精神)」。これは「自立できるよう支援する」ではなく、「自立を維持できるよう支援する」という意味だと思う。たぶん。詳細は各自ググってくれ。

 間違っているかもしれない簡単な要約は、「精神科医療が長期にわたって必要な場合、医療費によって患者の経済状況が悪化する可能性が高い。それを未然にふせぐため、患者の経済状況に応じて、医療費の自己負担を軽減したり、上限を設けたりするなどして支援をする」というようなもの。たぶん。

 生活保護の場合、すでに自立できていないわけで、そのあたりはどうなるのだろうとは思うが、生活保護を受給している時点で経済的に困窮しているのはたしかなわけで、そのあたりで? この制度を? 利用できる? のかな?

 

 申請場所は各市区町村の保健所。職員さんに「事前に書類について電話で問い合わせるといいよ。たしか写真が要ったよ」などと説明されたが、おそらく職員さんは自立支援医療と精神障碍者手帳の申請を混同していたと思われる。手帳の申請には写真が要るが、自立支援医療には必要ない。

 自立支援医療の申請に必要な書類は……なんか……いろいろ要った気がする。忘れた。とりあえず、医師の診断書(自立支援医療用)、本人確認書類(免許証など写真付き)、マイナンバーが必要だった。生活保護でなければ、経済状況を説明できる書類も必要であろう。ほかにもたぶん必要なものがある。各自保健所に確認してほしい。

 

 自立支援医療では、病院・診療所、薬局、デイケア等というぐあいに申請をして、その医療機関等で、診断書にある精神疾患に対する治療の医療費にのみ支援がなされる。たとえば心療内科精神疾患に対する診察のついでに内科をみてもらったり、かぜ薬なんかを出してもらったりしても、そのぶんについては自立支援医療の対象にはならないということ。

 この病院・診療所、薬局、デイケア等は、申請のときに書類に名称・住所・電話番号を記載しなければならないのだけれども、薬局がなかなか厄介だったりする。利用している薬局の住所や電話番号を記憶しているだろうか。病院なら記憶していなくても財布のなかに診察券なんかが入っていたりして、それに正式名称も住所も電話番号も記載されている。でも薬局となると……まあ、おぼえていなくても、だいたいの位置がわかれば、職員さんが薬局特化の電話帳みたいなのを持ってきてくれたり、病院自体に問い合わせてくれたり、そうでなければ自分で電話して訊いてもいいわけで、問題ないといえばとくに問題はないのだけれども。

 

 で、申請したのが1月くらいで、受理されたよと書類が送られてきたのが最近。だいたい一カ月半くらいかかった。送られてきたのはA4サイズの受給者証と、手続きに関する注意事項について書かれたプリントと、受給者証をたたんで入れられるなんか……ジップロックみたいなやつ。最後のは必要なんだろうか? まあ、汚したりなくしたりしにくくなるという効果はあるけど。

 手続きに関する注意事項のプリントは、ほんとうに手続きに関してのみが記載されていて、この受給者証をどう運用していいのかは書かれていない。一年ごとに更新の申請が必要で、診断書の提出は二年に一度だとかなんとか。更新の申請は期限の三か月まえから受け付けていて、時間がかかるから早めに申請するようにとか、更新についてのお知らせはしませんよとか、名前や住所などの変更があればすみやかに申し出ることとか、そういうこと。

 

 以上。

 じつをいうとなにか書類とかに不備があったのかと心配していたので、受理されてよかった。つぎの診察からは、自立支援医療受給者証を忘れないようにしないといけない。お薬手帳といっしょに、外出のときに使っているバッグに詰め込んでおこうと思う。