うつでなまぽ

うつ病でPTSDでアスペで生活保護受給中の生きものがいろいろ書きます。

うつ「ただしさなんぞ知ったことかという気分」

 ジプレキサ(オランザピン)の影響か、また乳汁分泌の憂き目にあったわけですけど~? 現在は血液検査中でまだ中止にはなっていない。いいのか。飲むけど。なんでこう副作用が出やすいのだろうと思うが、クリニックにあったアスペルガー障害に関しての本に、脳のホルモンがどうこうでアスペルガー障害者は薬の副作用が出やすいらしい……というような情報があった。まあ原因がわかったところで取り除きようがない以上、薬の副作用が出たら、薬やめるしかないんだけどな。薬によっては副作用対策の薬もあったりするけれども。なんにしろ、すべては血液検査の結果しだい。

 

 で、ジプレキサのおかげでハッピーなあいだに書いておきたい。なんでわたしがこんなことをしなきゃならないんだと。喉もと過ぎれば熱さを忘れるというか、いま、精神的にだいぶよいので、悪いときの必死さが抜けてしまっていて、そういうことを考える。なんか……薬を飲んだり、忘れたい過去とそのうち向き合って折り合いをつけなきゃいけなかったり、これからも苦労して生きていかなきゃいかんのだろうなということもふくめて、なんでわたしがそれをしなければいけないんだと。

 だれのためでもない、自分のためだとわかってはいるが、そもそもの負債はわたしのせいじゃない。ずっとだれかが(はっきり言えば親が)背負わせてきた借金を返済しながら生きているような気分だ。ふつうの親のもとに生まれていれば、プラスができているはずなのに、わたしはこの年でようやくゼロのスタートラインに立つことになる。なんでそんな、マイナスからゼロに至るためにわたしが努力しなくちゃいけないんだ。わたしのせいじゃないのに。いや、でも、わたしのせいだったのかも。なんとかしようがあったのかも。そもそも、わたしが育てにくい子どもだったのがよくなかった。わたしが親を追いつめた。この人生の負債は自業自得だ。生まれてこなければよかったのに生まれてきてしまった。そんな人生のために、これ以上なにか力をそそぐ必要があるか。いっそ消えてしまうのがいちばん楽なのじゃないのか。

 

 と、思っている。ひらたくいえば、いちばんひどいとき、ただ回復のことだけしか考えなかったものが、やや回復してきて余裕が出てきたら、よけいなことを考えられるようになってしまった、回復期がいちばんあぶねえってやつだ。

 しかし、うつ病とか、PTSDとか、アダルトチルドレンとかのひとは考えないんだろうか。考えても言わないだけだろうか。言っても仕方ないもんな。なんでこの傷をなおすためにわたしが努力しなければならないんだとか言ってても、なにも変わらないもんな。ばかみたいだもんな。はあ。

生活保護「あたらしい相談員さんが着任したが無理」

 むりむりむりむりかたつむり。

 あ、まえの記事の件ですが躁うつ病うつ病もふくむ)、統合失調症てんかんなどの持病がある場合猟師免許はとれないそうだ。うつ病寛解した場合はどうなるんだろうと気になるが、それをきくためには主治医に「わたし、猟師になりたいんですけど」とちょっと微妙な告白をせねばならない。してみようか。どうしようかな。

 まあそれはおいておくとして、今回の話。

 

 あたらしい相談員さんが着任されました。男性でした。無理。

 いや男性だから無理というのではない。しかし男性だというだけでわたしとしてはちょっとハードルが高くなったのも事実。二回ほど、前任の相談員退職後にピンチヒッターとしてきた女性のかた(臨床心理士の資格を持っているのかないのかよく知らないが、感じがよくて話しやすい)と面談をしていて、そのかたから、「わたしも同席するからいちど会ってみるのは?」ということで、会ってみた。まあ結論からいうとむりむりむりむりかたつむり。という感じだったということだ。

 

 なにがむりかというのを言語化するのはむずかしい。もしかしたら、男性であることでそもそも生理的にむりな気持ちがあり、それにあとから理屈付けをしているだけかもしれないからだ。しかし言語化しないことにはどうにも立ちゆかないこともある。自分と向き合うという意味も込めて、ここは言語化しておこうと思う。

 

 まず、その相談員さんが、ものすごくグイグイ来るタイプのひとだった。そういうタイプのが楽だというひともいるかもしれない。しかしわたしの場合、グイグイ来られれば来られるほど、ずりずりと後ろに引いてしまうタイプだ。それにくわえて、熱心さにこたえられないことに罪悪感がわいてしまう。こんなにもよくしてもらっているのに! みたいな。期待にこたえたい気持ちが強すぎるのだ。だれも罪悪感などいだいてもらいたいわけではなかろうにいだいてしまう。

 つぎに、ピンチヒッターの女性のかたにわたしが話した内容を、そのまんま持ち込んで「こんなことが好きなんですよね」とか「こんなことをしてらしたんですよね」と言ってきたところ。いや、情報が共有されているのはわかっている。しかし、わがままかもしれないが、それを意識させないでほしい。すくなくともいままでの相談員さんやケースワーカーさんは「共有して把握してはいるけど、口にはださず」という態度だった。ほかのひとにも共有されているというのがあからさまに出てくると、話がしにくい。それに、ピンチヒッターの女性のかただから話したことを、初対面のあなたが口にして持ち込んでくるのはなんか……ちがうだろうっていうか……うまく言えないけれども!! わがままだけれども!!!

 そして、「AにしますかBにしますか」なところ。たとえていうなら「カレーにしますかラーメンにしますか」みたいな。いや意味がわからないだろうな。まえの相談員さんとか、ピンチヒッターのかたは、まず「やるか、やらないか」というところからはじめて、やると決めたら「じゃあ、AとかBとかあるけど、どうしようか」という感じで話をすすめてきてくれたのだけれども、今回の相談員さんはもうはじめからやることはきまっていて、わたしがきめるのは「AかBか」というやりかたや手段の選択だけというような提示のしかたをしてくる。自分でも甘ったれていると思うが、わたしはこういう提示のされかたをすると、その時点で「やらない」「できない」という選択肢は捨ててしまう。捨てようと思って捨てるのではなくて、そんな選択肢はないと思い込んでしまうというか、ないと思っていることすら気付かない。AかB、どっちかを選ぶしかない、そういう視野狭窄に陥る。

 

 最初のふたつは話しているあいだにわたしが気付いたのだけれども、最後のひとつはピンチヒッターのかたが口をはさんでくれてはじめて気が付いた。わたしがAかBかの選択肢をえらんだあと、ピンチヒッターさんが、「あなたは、AかBかの選択肢をならべられると、どっちかを選ばなきゃと思ってしまうみたいだけど、Cという選択肢、つまりどっちもいやだという選択肢も持っていたほうがいい。やめる、逃げるという選択肢。これがいちばん大事」というような意味のことを言った。知らないうちにめちゃめちゃ緊張していたらしいわたしは泣いた。31歳なのに。関係ないか。

 

 で、まあ、今後新任の相談員さんと面談をつづけていくかどうかは、主治医とも相談して、担当のケースワーカーさんに話してくれればいいということで面談は終わった。

 まあむりむりむりむりかたつむりなんですけれども……、でも、そういう苦手なひとと付き合うスキルみたいなものをみがくのも大切なのかもしれないし……悪いひとではないんだし……うん……がんばってみるとか……いやがんばらないほうがいいんだろうか……とかいろいろ考えている。

 軟弱な精神であることよ。

 

 面談のあと、こころ乱れすぎてそのまま家路につくことができなかったので、図書館へ行った。図書館はいいところだ。古い本のあまい匂いが空間を満たし、人類の叡智とエゴと歴史と悪行と善行とくだらないたわごとがまぜこぜになって棚を満たしている。いろいろと本を借りた。クマのパディントンの原語版とか。いま読んでいるが、意外に読めるものだなと思っている。

 本はいいものだ。

発達障害「自分の苦手なことを考えてみる」

 発達障害、というか自閉症スペクトラム、というかアスペルガー障害の特徴に、いじめにあいやすい、虐待被害者になりやすいというのがある。つまりそれって、被害者側に原因があるということではないのか。父母もアスペルガー障害であるわたしさえいなければ、虐待などすることなく生きたのかもしれない。姉や妹も健全な家庭ですごせたのかもしれない。

 などと考えて落ち込んでいたが、まあ、考えたところでどうしようもないし、よく考えたら父はわたしが生まれるまえから母に暴力をふるっていたそうだから、そういうやつだったんだよな、と結論付けることにした。いじめは受けたことがない。家族以外の周囲の人間の好意をむさぼって生きてきた自覚がある。

 

 落ち込むだけ落ち込んで浮上したあと、昔のことを考えるにしろ自分を振り返るにしろ、もっと建設的なことを考えよう、と思って、自分の苦手なことを考えてみた。苦手がわかれば得意がわかる……ような気がする。苦手がわかればそれを避ける方法がわかる。……と思う。

 とりあえずまあ発達障害の症状(?)になるのかなというのを書いてみる。しかしべつにこれは発達障害じゃなくておまえの特性だよというのもあるかもしれん。わからん。なにもわからん。

 

 まず、人間が苦手だな。いきなり主語がデケエ。しかし真実だ。

 思うに、人間というのは情報過多だ。男とか女とか顔の感じ髪の感じ服装喋ること思っていること考えていること手の動かしかた表情歩行速度などなど。圧倒的情報過多。圧倒的情報過多に接してしまうと、その情報解析にリソースを食われてしまい、エネルギーを浪費して、結果、すごく疲れる。

 この感覚がよくわからん……というひとは、ざわざわと騒いでいる人込みのなかに入っていって、そのなかで、すべてのひとをひとりひとり見つめていきながら、すべての会話を聞き取ろうとしてほしい。頭がグラグラしてくると思う。そういう感じだ。そういう感じが、わたしは人間がそばにいるかぎり強弱の差はあれずっとあるのだ。

 よって、わたしは多数の人間が集まるような場所は苦手だし、疲れる。

 

 それなら一対一は大丈夫ということかとなるが、これもまた苦手だ。

 一対一になると、一対多数(正確にいうと対してはいなくて勝手に情報受信しているだけなのだが)よりも負担が少ないように思えるのだけれども、実際には会話というものすごくすごくすごくすごーく疲れる行為がともなうので、結果一対多数よりもずっとずっとずっとずーっと疲れる。会話というのはキャッチボールにたとえられる。かなり的を射ている。運動音痴のキャッチボールを想像してほしい。相手の球を取るので精いっぱい。受け取った球を解釈するのにまた精いっぱい。投げるときにも投げ方、相手の姿勢、この球でいいのかといっぱいいっぱい。そして相手がとれる球だったか、暴投してないか、ひやひやしながら見守る。

 疲れる。

 ただ、これは相手にもよる。通常、人間はというかそれなりに知識と教養をそなえたと自負するような人間は、言外にいつも含みを持っている。そういうのが疲れるのだ。こっちはボールを受け取るので精いっぱいなのに、相手のボールを投げる姿勢とかまで注視しなければならない。そうでなければ球を読み違える。変な球を投げてしまう。よって疲れる。

 しかし、子どもや歯に衣着せぬような物言いをするひとは、言葉がそのまんま言葉のまま。球をみながら球を受けて球を読んで返せばいい。楽。あんまり疲れない。

 よって、いわゆる「大人の会話」をする相手との一対一が苦手だということになる。

 

 ひとの眼を見ることも苦手だ。このあいだ、甥っ子に読んでほしいと言われた本を読んでいたら、「ありがとうは相手の目を見て言いましょう」というのがあって、アスペの子どもにとっては地獄のような提言だなと思った。相手の眼を見ないというのは、だいぶ不信を抱かせる、疑わしい、誠意の感じられない行為であるというのはわかっている。ので、いちおう瞬間的に視線を合わせてみたり、ごまかそうという努力はしている。しかし無理なものは無理。苦手なものは苦手。

 わたしの父はたいへんアスペっぽいのだが、「眼を見ればなんでもわかる」教信者でもあり、頻繁に「眼を見ろ」と言ってきた。そういうときぐらいしか、わたしが長時間だれかの眼を見ることはなかった。で、長時間相手の眼を見続けたときにどうなるかというと、まず、眼以外のすべてが消える。あとはハレーションする光が渦巻くようになり、だんだん視界が暗くなっていく。眼だけ切り取ったように光のなかに浮かび、グルグルと回るようなこともある。眼の奥が揺れるような感じがして、とても目を開けていられなくなる。ラリってるのかという感じだが、しらふでこうなる。高ストレスに対する防御反応なのかなんなのかはよくわからない。

 よって、わたしはひとの眼をみることが苦手だし、無理だ。

 

 あとは道具をつかってなにかをするのが苦手だ。球技とか、化粧とか。自分の手だけならばむしろ得意(折り紙とか)なのだが、あいだに道具がはさまると苦手になり無理に至る。じゃあ自分の体をつかうのは得意かというとそうでもなく、運動は全般的に苦手だ。逆上がりもできないし、縄跳びも二重とびあやとび交差とびができなかった。走るはまあまあふつう。泳げはする、クロールがまあまあ得意。

 

 こうしてみてみるとできる仕事なんてないのではという気分になってくる。ひとと接さない仕事なんてあるか。いや、ぜんぜん接さない仕事をさがす必要はないのだ、ある程度ひととかかわらずにすむ仕事であれば。すべての要求をみたす仕事などあるはずがないのだから。

 しかし、昔はマタギにあこがれて猟師になりたいと思っていた時期があった。これは究極にひとと接することのない仕事ではなかろうか。自分の特性を無意識に理解していたのかもしれない。道具をつかうけど。うまくやればアスペ垂涎の仕事となりえるかも? わたしは精神障害者だからもしかしたらもう銃を持つ許可はおりないかもしれないが、罠猟師くらいにならなれるだろうか。ちょっと調べてみたいが、こんど区の職員さんと会うときに、「猟師になりてえ!」とは言いたくないな。あ、区の職員さんに自分にあう仕事の傾向をさがしてみるといいかもと言われているんです。まあ今回自分の苦手なことを考えるのは、仕事をさがすためというより単に生きるためであったのだけれども、ここに着地した。わかんねーな。

 

 きょうはこれでおしまい。

治療「オランザピン(ジプレキサ)を飲んで一カ月」

 いい薬です。

 杏林のオランザピン→アメルのオランザピンと変遷? があったものの、使用感にはほぼ変わりなし。ひとによってはジプレキサジェネリックのオランザピン、おなじオランザピンでもジェネリックをつくっている会社によって使用感が変わったりするそうだ。有効成分はおなじなんだろうがな。やっぱり製法が変わると、なにかべつの成分が混入したりするのかしらん。薬学には暗いのでわからない。

 

 お薬手帳によると、「気持ちを落ち着かせる薬」であるところのオランザピン、冒頭でも言ったけどとてもいい。これを飲むまえはなんというか食べ物の買い出しに行くほかは家に閉じこもりっきりという生活をしていたのだけど、外に出てなにかしようかなという気持ちが出てくる。この薬のおかげでだいぶアクティブになり、外を出歩くことができるようになった。オランザピンさまさまといった具合。

 外に出たくないのは暑いせいかと思っていたけど、酷暑はつづいているのにそういう意欲があるということは、やはりうつの症状だったのだろうな。

 

 で、副作用。オランザピン、というかジプレキサはデブレキサとか肥満薬とか言われるほどに、体重増加の出現率が高いようだ。ようだとか言ったのはわたしにはどうやら出現していないっぽいからだ。まあ食事ができるようになったので、多少増えてはいるが、一カ月で1kg前後は許容範囲内だろう。

 動けるようになったことで、体力づくりのために夕方てくてくと歩くことをはじめたから、体重増加がないのはそのせいもあるかも。BMIが16ちょっとなので、まだ増えてもいいくらいだから、ここは運動をやめる……というのも不健康なので、とりあえず継続。

 あと、ちょっと甘いものが食べたくなるような感じはあるかも。これはなるべく朝~午前中に食べる+果物にする、で、なるべくお菓子的な甘いものは取らないようにしている……というか、すいかがおいしい、桃がおいしい、梨もちょっと出回りはじめたという季節なので自然とそういう感じになっている。

 

 いまのところはいいとこづくめで、近年まれに見るくらい調子がいい。まあ、発達障害のことで昔を思い出していたら気分がどん底に落ちるとかいうこともあるわけだけど、とにかく。この状態ができるだけ長くつづいてほしいなあと願っている。

社会「生きるに値しない命はあるか」

 自民党杉田水脈衆議院議員が「LGBTは子どもをつくらないので生産性がない、よって公的な支援に値しない」「LGBTにたいする差別などない」というような文章を月刊誌に寄稿したことで炎上した。しているというべきか。

 

 このひとについてかるく調べてみたが、もともと奇妙な発言を繰り返しているひとのようだ。BBCがつくったドキュメンタリー「日本の秘められた恥」において、インタビューを受け「女として落ち度があった」、「男性の前でそれだけ酒を飲んで」とくだんの性犯罪事件で被害者とされている女性を非難する発言をしている。加害者と目されている男性は合意であったと主張しているのだけど、杉田氏のこの発言からすると「男性は強姦したけれども、女性に女として落ち度があったから、強姦とはみなさない」というちょっと法律を勉強してきてほしくなる思考を持っていることがわかる。ちなみにBBCは杉田氏にインタビューをするにあたって、どういうドキュメンタリーであるかを偽ったようで、そのあたりにはTwitterでを抗議をしていた。

 保育所の増設に反対する立場であるが、理由は「旧ソ連崩壊によって弱体化したコミンテルン(かつて存在した、共産主義政党による国際組織)が復権のきざしをみせており、そのターゲットが日本になっている」ための陰謀工作であるとしている。

 彼女にとってはLGBTの権利をもとめる動きも、コミンテルンによる日本弱体化のための陰謀によるものであるらしい。ちょっと頭がくらくらしてきたかな? ウィキペディアを見るとそういうことがソースとともに詳しく書いてあるので、いちど読んでみるといいかもしれない。

 杉田水脈 - Wikipedia

 

 炎上した寄稿文についてはLGBT団体やはてな内でも多くのひとが細かく問題点について書いているので、もう書く必要はないのかもしれないが、まあ書きたかったので書いてみる。

 

 「LGBTのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子どもを作らない、つまり生産性がないのです。」という杉田氏の寄稿文を切り取った文章を見たとき、ナチスドイツや優生思想、断種法を連想した。ナチスドイツは説明するまでもない。優生思想は「すぐれた遺伝子を持つもの(のみ)で生殖をおこなっていこう」という思想。断種法は優生思想のひろがりによって必然的にあらわれてきた「劣った遺伝子、性質をもつものは生殖するに値しないから、生殖能力を奪う”優生手術”を行っていこう」とする法律である。最後の断種法については平成6年(1994年)、つまりたった24年前まで、優生保護法という名で日本という国に存在した法律だ(ほかに断種法を持っていた国はドイツ、アメリカなど)。

 これについて、「いやいや、関係ないだろ? なんでもナチス持ってきやがって。実際、LGBTは子どもをつくらないじゃん」と思うひとも多かろうと思う。わたしはそもそもLGBTが子どもをつくらないというのに異議がある(レズビアンでも精子提供によって妊娠する女性がいるし、ゲイでも代理母によって子どもをもうける男性がいる、バイセクシャル両性愛なのだから異性愛も含み当然生殖する可能性がある、トランスジェンダーはやや複雑になるが、生物学的性別は男、性自認は女、そして同性愛者として女性を愛するといった場合には生殖する可能性がある。もしくはレズビアン、ゲイのように精子提供や代理母によって生殖するかもしれない。まあヘテロセクシャルよりも頻度が低いというのはたしかではある)が、それはまあカッコ内ですませておくとして、わたしが杉田氏の発言をナチス的だと感じたのは、人間を選別する、その姿勢だ。

 

 きょうの表題においた「生きるに値しない命」とは、ナチスドイツが「純粋なアーリア人」を正しいドイツ人であり至上の存在とし、その純血をたもつために、劣等、下等とみなされる資質をもつ者たちを安楽死させる優生主義的な政策を推し進めるにあたって使用した題目だ。ナチスドイツは、まず知的障害者精神障害者からはじめた。彼ら・彼女らは独力で生きていくことができない。支援を要し、税金を要する。安楽死させてしまえば、そのぶんの金が浮く。財政が改善される。そういうわけで、彼ら・彼女らは安楽死させられた。

 「生きるに値しない命」は拡大した。政治的な反体制派、同性愛者。もしくは、聖職者、共産主義者ユダヤ人、ポーランド人。最終的には悪名高い絶滅収容所にまで至る。ナチスドイツが連合国によって崩壊するまで、人間を生きるに値するかしないかを選別し、「生きるに値しない命」を死に至らしめる残虐な政策は止まることがなかった。

 

 なにが言いたいかというと、ホロコーストユダヤ人の大量虐殺)でさえ、最初の一歩はあくまで知的障害者精神障害者安楽死という、現代的価値観からすればじゅうぶんに過激であるが、帰結にくらべればずいぶん穏当なものであったということだ。いや、最初の一歩は優生思想の流布だっただろうから、もっと穏当なものであったのかもしれない。

 杉田水脈議員の寄稿文もその一歩であるようにわたしは感じる。彼女は子どもを産むことのみを「生産性」とさだめ、それをできないLGBTのひとびとは「生産性がない」から「税金をつかうに値しない」とした。ならば、日本で生産性があるのは「10代後半から40代までの、健康で生殖の意思と機能をもつヘテロセクシャルの男女」のみに限局され、そのほかの人間は「税金をつかうに値しない」ということになる。「税金をつかうに値しない」は、いずれ「生きるに値しない」へと先鋭化する可能性を秘めている。オーバーなと思われるかもしれないが、前述したとおり、ホロコーストのはじまりは「税金を節約するために、知的障害者精神障害者安楽死させる」だったのだ。

 

 そもそも、社会というものは、人間のために存在する。社会のために人間が存在するのではない。生産性があるかないか、つまり社会に貢献しているかしていないかでそうやって選別する姿勢がまずおかしいのだ。いやしくも民主主義をかかげる国に、生産性でひとを選別するような政治家などは必要ない。生きるに値しない命など存在しないと、お題目であったとしてもとなえておくべきだろう。”古き良き日本”への憧憬や、それにともなう「みんな言わないけどこれが本音だよね」というような、”あえての露悪的”な論調は目にあまる。

 とりあえず自民党は、彼女が「生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁」について語りはじめるまえに、なんらかの方策を取るべきではなかろうか。このような発言を放置していては、とてもLGBTの理解を推進するとかかげた党とは思えない。いやそもそもこのひとを引き入れた時点で……というか自民党LGBT理解自体が……

 

 以上!

発達障害「アスペルガー障害と自分を引き比べてみる」

 ブログタイトル、うつでなまぽでアスペってしたほうがいいんだろうか。長すぎるしくどいしこのままでいいか。いいな。いい。というわけでこのままいく。

 

 さて、主治医にアスペルガー障害に関する本を一冊くらい買ってみるといいよと言われたわけだけれども、主治医が「こういう本」とみせてきたのが、いかにもアスペルガー障害についてやさしくかんたんに説明します~という感じのですます調で書いてありそうな本で、そんなおもしろくなさそうなのにお金を払いたくないと思った。もっと詳細に、容赦なく書いているような本が読みたかった。手もとにもほしいけど、そういうのは高いので、そういうときになにを利用するかと言ったら……図書館だよな~!! というわけで図書館に行ってきた。

 医学書のならぶあたりで、精神医学の本棚をざーっとみるけど、ない。自閉症スペクトラムでさがしても、ない。なんでやねん。ここになかったらどこにあるんだよ。と思いながら検索用PCでさがしてみたところ、さっきまでさがしていた本棚のちかくにアスペルガーと題した本があるよという結果。は? と思って見てみたら、精神医学のとなりにあった小児医学の本棚にあった。そういうことかよ~!! みんな、発達障害の本が精神医学のカテゴリにないんだけど? と思ったら、小児医学をさがしてみような。

 

 で、てきとうに選んだ四五冊本を広げて、そこに書いてある特徴について自分が当てはまるかどうかというのをノートにまとめた。幼児期のことなんかは親にきくというのもまあできかねる(わたしの精神衛生上)ので、以前にきいた記憶をたどるしかない。姉はいるけどたった二歳しかはなれていないので聞き取りなどしてもなあ。

 

 結果、あんまり当てはまらない。ただこれはわたしの主観であるので客観的に見たら当てはまるのかもしれない。うーん。友だちに協力を依頼してみたいが、みんなそんな暇じゃないだろうなあ。突然友だちに「わたしアスペルガー障害らしいんだけど、わたしのそういうエピソードって思い出せる?」って訊かれても、まずアスペルガー障害について知らんのだけどそこから調べなきゃならんのかっていう話だよな。わたしには幼馴染の友だちというのがいないし、姉と妹はいるけどそれぞれ忙しいしな……まいったまいった。

 

 とりあえず、当てはまらないなと思ったのはいじめられたり仲間外れにされがちとか、比喩や隠喩を理解できない、思考を声に出す傾向、相手の感情を読めない、相手も自分と同じように感情や思考を持つ人間であるという直感的認知の希薄さ、フィクションを好まない、記憶力に優れる、など。

 逆に当てはまるなと思ったのは、収集癖がある(石なんかをあつめている)、歩きかたや走りかたがぎこちない(走りかたがおもしろいと言われたことがある……)、近親者に自分に似た変わり者がいる(父と父方の祖母)、アイコンタクトが苦手(目を合わせられない)、など。

 まあくどいけど主観なので、わたしがそう思い込んでいるだけという可能性は大いにある。しかし、自分がうまくやってると思っていただけで、周囲にたくさん我慢させたり嫌な思いをさせていたのに、空気が読めるとか友人がいると思っていたのだったら、なんか、すごくへこむな……。つらいな。

治療「アスペルガー(仮)と診断された」

 WAIS-III知能検査の結果が出た。それとバウムテストの結果、臨床心理士の見解、受診のときのわたしの言動を総合して主治医がくだした診断はおそらくは発達障害で、アスペルガー障害であろうということだった。

 知能検査の結果は↓な感じ。

 

 言語性IQ110 動作性IQ99 全検査IQ106

 言語理解122 知覚統合103 作動記憶92 処理速度86

 

 上はIQ。全検査IQというのがいわゆるIQ(知能指数)と呼ばれるもの。100が平均で言語性IQはそのまんま言語に関する知能指数。動作性IQというのは動作に関する知能指数、つまり文字によらない視覚情報や空間把握能力に関する知能指数

 ちなみに、知能指数は100がだいたい平均で、こまかくいうと130以上が非常に優れている、120〜129が優れている、110〜119が平均の上、90〜109が平均、80〜89が平均の下、70〜79が低い、69以下が非常に低いとされるそう。

 というわけで知能指数に関しては、わたしは言語性の情報処理に関しては「平均の上」だけれども動作性の情報処理に関しては「平均の下」であるわけだね。この言語性IQと動作性IQの有意差、あるいは乖離していることをディスクレパンシーと言い、これが高いほど発達障害である可能性が高いということらしい。わたしの場合は11。15以上で有意差があると判定されるようなので、わたしの場合も有意差なし、もしくはあっても低いと言えるだろう。たぶんね。たぶんなので信用はしないで。

 

 下は群指数というらしい。右肩下がりに下がりまくっているのがわかると思う。いちばん高い言語理解が122、低い処理速度が86、差が36。こっちも15以上で有意差ありとされるらしいが、二倍以上ある。これは著しい乖離があると言えるだろう。というかヤバい。なんだこの差は。

 

 そしてこの結果とか何とかから導き出されたわたしの特徴は「語彙力が高く、言語的情報に関する知識が豊富であり理解が早い。有意味な情報であるほうが頭に残りやすく思考しやすいと予測される」、「視覚情報から状況を把握したり、次に起こりそうなことを予測する力はあるが、不安や自信のなさから表出するのに時間がかかる。そのため時間に制限がある場合には持っている力を発揮しにくい」、「頭の中だけで情報を操作したり、暗算したりすることは苦手。聴覚的な過敏さも影響し、不注意なミスが起こりやすい」ということらしい(臨床心理士と主治医の見解を丸写し)。

 なるほどと思えるような、よくわからないような。

 

 主治医からアスペルガーのことについて調べて、できれば本を一冊買うといいだろうということを言われたので、まあとりあえずネットでいろいろと読んでみたんだけども、わかるーというのがあったり、わかんねーと思うのがあったり。なんだろう血液型性格診断とかを読んでいるような気分だ。

 

 わかるーと思ったのは感覚の過敏さ、あるいは鈍麻さがあるということ。

 わたしは女なのだけどもブラジャーが嫌い。息苦しく感じる。サイズがあっていないのでは? ということではなく、これブラジャーの意味ないだろというくらいゆるゆるにしても違和感がある。ワイヤー入りとかもう付けられない。そういうのはアスペルガーにありがちらしい。体を締め付ける服が嫌いだと。たしかにゆるゆる~とした格好が好き。化粧も嫌い。日焼け止めを塗るのすら嫌い。皮膚になにか貼りついているという気持ち悪さに耐えられない。腕時計がくすぐったくて嫌。イヤリング、ネックレスなども気色が悪い。これらは触覚過敏に分類されるようだ。

 聴覚過敏については以前PTSDの症状として書いたような気がするので省く。書いたっけ? まあいいや。

 視覚過敏。原色とか目にうるさい色が嫌い。原色を組み合わせた色柄物は目にうるさい。このあいだ姉とスイパラなるものにはじめて行ったのだけど、原色の暴力といった感じで目がちかちかした。無理。

 

 ん? と思ったのは友人が少ないとかいじめの対象になりがちとかいうやつ。

 でもまあこれに関しては単にわたしの周囲がやさしいひとばかりだったからという気もする。わたしは昔から本を読んでばかりの変人だったが、そういうところを受け入れて、かまってくれるひとが周りに多かった。ので、本来なら友人が少なくいじめられっ子になってもおかしくなかったけれども、そうならずにすんだのかもしれない。そうするとそれはわたしの能力とは関係がなく、環境にめぐまれたということだな。能力的にはそのとおりなのかもしれない。

 

 ちなみにいまはもうアスペルガー障害・症候群という呼称および分類は使われなくなっていて、自閉症などとあわせて自閉症スペクトラム障害と大きく括るようになったようだ。主治医は細分化した分類のほうがわかりやすいと思ってあえてアスペルガーという名を用いたのだろう。

 

 わたしはいままで自分がアスペルガーかもしれんとは疑ったことがなくて、家庭でも学校でも職場でも、わたしも周囲も、わたしに関して発達障害的に困ったということはなかった(と思う)ので、へえーという感じだったが、これで触覚過敏を理由に化粧をせずに生きていきたいなあなどということを思ったりしたよ。

 なんで女は化粧をしないとまともな人間とすら思われないんだ。理不尽だ。